夜間飛行/サン=テグジュペリ
『夜間飛行 (光文社古典新訳文庫)』を読んだよ。人生訓を読み取る。
サン=テグジュペリといえば日本では『星の王子さま』ばかり。だから、童話作家なのかと勘違いしそうだけど、本書のような大人向けの小説が彼の作品の標準。そして、飛行機乗りだったということにも、ちょっと普通の作家とは違うということも注目すべき点かな。
ということで、この物語も飛行機乗りの話。南米で郵便を運ぶ航空便を巡り、人生とは、人間とはといった哲学的なテーマを物語の中に折り込みながら、話が進んでいくという感じ。
構成としては、大きく前半、後半に分かれ、前半は登場人物や、物語の背景など、ちょっと冗長的。前半に飽きてきた頃に、大きな事件が起こり、話が急展開し、テンポが良くなっていく。そして、その事件に対して、人々の思いが渦巻く。
例えば、
「わたしはどの部下も好きだ。わたしが戦っている相手は人間ではない。人間を通じて姿を現わすものなのだ」とか、
「ひとの生に価値がないとしてみよう、われわれはいつも、それ以上に価値の高いなにかがあるようにふるまっているのだから……。だが、その何かとは何なのか?」とか、
「わからないかね、ロビノー。人生に解決策などない。前に進む力があるだけだ。つまりその力を創り出すしかない、そうすれば解決策はあとからついてくる」。とか。それぞれのセリフが人生の意味を言い当てているような気がするよね。解決策などないと言っているように、考え方を示しているんだろうね。そういう意味では、『星の王子さま』と同じだったのかなぁ…。
異類婚姻譚/本谷有希子
『異類婚姻譚 (講談社文庫)』を読んだよ。現代風SFおとぎ話。
第154回芥川賞受賞作のこの物語。題名からして異端な気がして気になってはいたんだけど、この度めでたく文庫化されたので、手にとってみる。
そもそも一般名詞としての異類婚姻譚とは、Wikipediaによると、
人間と違った種類の存在と人間とが結婚する説話の総称。となっている。つまりは、ちょっと怖い話。いや、人間同士の結婚だって、未知との遭遇的ではあるから、それを極端に表現したら、この物語になるだろうな…。
ストーリーはいろいろなメディアに紹介されているから、ここでは省略し、自分的な違和感を少々。
まずは、主人公が夫のことを「旦那」と表現していること。結婚4年でもう「旦那」か?この表現にも異類婚姻たる要因が隠されているような…。
もう一つは、その旦那の言動に特段の注意や怒りがないこと。あまりに自分勝手な言動のように思うけど、それでいいのか?と疑問。楽に生きるとはそういうことなのか…。あるいは、人間以外のものと結婚したという達観なのか…。
とは言え、そういう主人公も人間ではなくなっていく気配もある。
恥ずかしくなって私が白状すると、アライ主人は私のほうをじっと見据えて、それから、「うん。それもあるかもしれないけど、あなたはもう少し、ちゃんと人の形をしていたかなあ。」と呟いた。と。あぁ、自分も「人の形」をしているだろうか。鏡を見ても、分からないだろうなぁ…。
超AI時代の生存戦略/落合陽一
『超AI時代の生存戦略 ―― シンギュラリティ<2040年代>に備える34のリスト』を読んだよ。シンギュラリティは来ないような気がしてきた。
副題は「シンギュラリティ<2040年代>に備える34のリスト」。本題の「生存戦略」と合わせて考えれば、「落合陽一流これからの生き方」という感じ。でも、相変わらず落合陽一氏の本は難易度に波がある。本書は箇所によって難易度が急に上がったり、ある箇所は平易だったり…。
では、これからの生き方について、どんな風に考えているのだろう。
まずは、こんなセリフから。
先の述べたように、「AIはAIとしての仕事を、人間は人間らしいクリエイティブな仕事をすればいい」という論調が僕は嫌いだ。このカッコ内の言葉は皆が一様に言う言葉だけど、落合氏が言うように、結局何をしたらいいのか分からない…ということなんだよね。じゃ、クリエイティブな仕事って何?って言われたら何も答えられない。だって、AIだってかなりクリエイティブな仕事をするからね。
そして、落合氏が提唱するのが、「ワーク“アズ”ライフ」という概念。
そこで、なるべくライフとしてワークする。つまり、余暇のようにストレスレスな環境で働けるように環境を整えていくということが重要である。ワークライフバランスは既に使い古された単語になってきたけど、いつでもどこでもネットで繋がる時代に、ワークとライフを分断しよう(バランスを取るとはそういうこと)なんて、土台無理な話なのかもね。
さらに一歩進んで出てくるのがブルーオーシャン。
今、この世界で他人と違うのは当たり前で、他人と違うことをしているから価値がある。もし、他人と競争しているならば、それはレッドオーシャン(競争の激しい市場)にいるということだ。つまり、競争心を持つというのは、レッドオーシャンの考え方で、そうではなくて一人一人がブルーオーシャン(未開拓な市場)な考え方をしなくてはいけない。確かに、ライフを活かすというのはそういうことかもしれない。ライフは個人で異なるわけだし、それを活かすことはブルーオーシャンの世界だよね。
そうだ。AIにライフはないんだ。人間らしくってそういうことなのかな…。
大和書房
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「大発見」の思考法/山中伸弥,益川敏英
『「大発見」の思考法 iPS細胞 vs. 素粒子 (文春新書)』を読んだよ。そうだったのか、iPS細胞。
副題は「iPS細胞vs.素粒子」ということで、登場人物は山中伸弥氏と益川敏英氏。ご存知の通り、お二人ともノーベル賞受賞者。つまりは世紀の大発見を成し遂げた二人はどんなことを考えているのだろうか…ということを二人の対談を通して知ろうという本。
素粒子理論は一般には分かりにくいし、説明がしにくい部分があるので、どちらかと言うと、益川先生がインタビュアーになって、山中先生が答える感じ。でも、途中で益川先生が雄弁になることも多々あり。そして、その雄弁の内容が面白い。ユニークというか、科学者らしいというか。科学者度は益川先生の方がかなり上かな。
では、ふたりの話はどんな内容だったのだろうか。まずは、山中先生。一番に興味があったiPS細胞とはどのような細胞なのかという点について山中先生。
つまり、一度分化した体細胞が時間をさかのぼり、未分化の状態に戻れることがわかった。このように未分化の状態に戻すことを、「初期化」とか「リプログラミング」と言っています。私達が作り出したiPS細胞は、一度分化した体細胞を、未分化の状態に戻した細胞なのです。と説明しているよ。なるほど、よく分かった。一旦、赤ちゃんの細胞に戻るから、また何にでもなれるってことなんだね。ほ〜っ。
そして、益川先生。独自の論調が面白いんだけど、その一つ、国語力について。
そう、化学の基本は国語ですよ。何にしてもすべて文章の言葉から入ってくる。読んでその世界が頭に思い浮かべられるかどうか。その力があれば、理解していける。そのあとは、吸収した知識を頭のなかで思い描いて発展させていけるかどうか。と力説。山中先生も同意見。理科系の人たちで、この主張をする人は多いよね。藤原センセーとかも。あっ、斎藤センセーもそうか。
最後に山中先生のお言葉。
科学者にとって、「神」の英語訳は「ゴッド」じゃなくて、「ネイチャー」なんですね。とか、
その点、実際にやってみて思うのは、自然の方がはるかに独創的だということです。人間がまったく思いもかけなかった「ヘンな顔」を、自然は見せてくれる。と。この最後の「ヘンな顔」という表現がいいよね。科学者って、意外にお茶目なんだなぁ~。
脳の王国/茂木健一郎
『脳の王国』を読んだよ。脳そのものが王国だった。
茂木さん本は久々。本書は『週刊ポスト』に連載されていた茂木さんのエッセイをまとめたもの。『週刊ポスト』というと、なんだがムムムという感じがしないでもないけど、内容はいたって茂木さんらしく、真面目なもの。巻末に内田樹先生との対談も載っていて、ちょっと得した気分にもなれるし。
エッセイだから読みやすい。小難しいことも書いていない。とは言っても、内容はそれぞれに考えさせられるものが多いよ。そして、通底するのは、脳の使い方。脳は使い方次第で高度な能力を発揮する臓器だということ。そして、その使い方の指南までしてくれるのは、茂木さんのいつもの通り。
では、茂木さんは今回はどんなことを言っているのか?
まずは、天才について。
天才とは努力の仕方を知っている人のことである。逆に、努力の仕方を知らないがために、自分の能力を発揮せずに終わったしまう人が世間にはたくさんいる。と言う。努力することで脳回路が鍛えられ、それが天才的な成果に結びつく。それは、誰でもが天才になることができるということ。脳というはそういうもの。脳のソフトウェアを書き換えることができるんだよね。
そして、今回注目すべきキーワードが「オルタナティブ」。「アンチ」より「オルタナティブ」と言っているんだけど、
反対することだけでなく、全く別の生き方(「オルタナティブ」)を示すこと。しかも、身をもってそれを生きること。「アンチ」から「オルタナティブ」へ。ビートルズの四人は、「もう一つの」音楽の方向、生き方を示したからこそ、今でも輝き続けている。ということ。反対することは勇気がいるし大変。でも、対案を出すとかと違う視点を示すことはもっと大変だからね。「アンチ」で満足するのではなく、もっと先を見ていかないとね。
さぁ、もっと脳を鍛えないとな…。
ルポ 貧困大国アメリカ/堤未果
『ルポ 貧困大国アメリカ (岩波新書)』を読んだよ。こんなことになっていたとは。
某所で知った大学生のためのオススメ本の1冊。このところ、柔らか系の読書が多かったので、少しは社会のことも知っておかないと…と手に取ったけど、あまりに知らなすぎたことに愕然。2008年の発刊だから、かれこれ10年ほど前の話だけれども、この流れが現代社会を形作っているんだろうし、今もそれほど変わっているわけではなく、逆に10年後の日本(今現在)が影響を受けているのではないかと思われるくらい。
では、本書に登場する貧困とはどのような現状を言うのか。
まずは、肥満。貧困ゆえに、ジャンクフードで食事を済ます。バランスより量で賄うことによる必然の結果。さらには、ハリケーン・カトリーナによる被災者の国内難民化。医療費、保険料の高騰による疾病の放置と蔓延。そして、就職難とワーキングプア。
では、その原因は何か?きっかけは2001.9.11のテロ事件。それからアメリカはあらゆく業態に市場原理を取り入れ、新自由主義を徹底化させていく。すなわち、自己責任のもと、勝ち組と負け組が生まれ、格差が拡大していくという必然の流れ。市場原理は民営化の流れを生み、信じられないことに戦争にまで業務委託事業会社が参画するようになる。戦力が一定の企業から供給されるようになってくる。企業だからコストはシビア。低賃金で雇われていく若者たち。
バタバタといろいろなことを書いてしまったけれども、まとめてみると筆者の言葉から拾うと、
だが、実はすべてを変えたのはテロそのものではなく、「テロとの戦い」というキーワードのもとに一気に推し進められた「新自由主義政策」の方だった。何故ならあの言葉がメディアに現れてから、瞬く間に国民の個人情報は政府に握られ、いのちや安全、国民の暮らしに関わる国の中枢機能は民営化され、戦争に負け転がり落ちていった者たちを守るはずの社会保障費は削減されていったのだから。ということ。新自由主義は、財政再建という大義名分のもとに推し進められた国が多いと思うけど、民営化の流れは一旦流れ始めると止まらないということも認識する必要があるよね。これからの日本を考える先行事例として捉えたいね。いい意味でも悪い意味でも。
そして、その貧困の反動として、トランプ政権が成立したとも考えられることも。
最長片道切符の旅/宮脇俊三
『最長片道切符の旅 (新潮文庫)』を読んだよ。やっぱり、旅行モノが続く。
宮脇俊三氏の2作目が本書。前作の『時刻表2万キロ』は中央公論社在職中だったが、本書はいよいよ会社を退職し、本格的な紀行作家として活動を始める段のもの。だから、冒頭では、退職後の鉄道の乗り方について、思いを巡らす。
自由を享受しながら制約をつくりだし、時刻表の楽しみを回復するにはどうしたらよいのか。大海を前にした蛙のような心境で思索しているうちに、思い至るところがあった。と。そして、その思い至るところが、北海道から九州までの「最長片道切符の旅」というわけ。これがどんな旅なのかと一言で言うと、国鉄の路線を一筆書きのルートで北海道から九州まで乗っていくというもの。しかも、できるだけ最長のなるルートで。分かる人には分かると思う。
…と書いたが、当の国鉄人でもこのルートの切符を見せられたら、幾つもの?が頭に浮かぶだろうと思う。ということで、車掌や駅員の反応がそれぞれで面白いので、以下に紹介。
「なんでも結構です。お客さんですから」と完全にお手上げの車掌。
「これは何ですか。切符ですか」とお客さんに逆に聞く改札係。
「生まれてはじめてですわ」と驚愕する車掌。
「とても私にはわかりません」と経由地の確認を怠る職務放棄の車掌。
そして、最終日の前日に、
だが、思い返してみると、この駅員こそ私の最長片道切符に対して真正面から対応してくれた唯一の国鉄職員ではなかったか。という駅員に遭遇する。うん、この駅員は忠実に職務を遂行していたからね。
あぁ、国鉄職員の話で字数を埋めてしまったけれども、日本全国の秋の風景と地形の特徴を感じながら読める本書。下手なガイドブックより、日本を感じられるよなぁ~。