こんな日本でよかったね/内田樹

こんな日本でよかったね』を読んだよ。なるべくしてなった。

いつものウチダ先生のブログを編集してまとめたもの。副題は「構造主義的日本論」だけど、構造主義はに拘った感じはせず、どちからというと「日本論」に主題があるのかな…。

とはいえ、その日本を語る手法が構造主義。だから、冒頭では、

つまり、 人間が語るときにその中で語っているのは他者であり、 人間が何かをしているときその行動を律しているのは主体性ではなく構造である、というのが本書の主な主張であります。
構造主義における本書の主張を語る。うむ、人間は構造に律せられているということか…。でも、やっぱりその「構造」とは何か?を聞きたいんだけど、ここではひとまず置いておく。

では、構造主義的にこの日本をウチダ先生が語るとどうなるのか。
まずは、国語教育。

そのような言葉に実際に触れて、実際に身体的に震撼される経験を味わう以外に言語の運用に長じる王道はない。言葉によって足元から揺り動かされる経験に比べれば、作者の意図なんかどうだってよい。
そういえば、言葉によって身体的に震撼させられたことなどあっただろうか…。これもその国語教育の結果か。

だから、学校の先生がすることは畢竟すればひとつだけでよい。 それは「心身がアクティヴであることは、気持ちがいい」ということを自分自身を素材にして子どもたちに伝えることである。
これはよく分かる。分かることが快感でないと行動を起こさないのが人間だから。頭ではなく身体で感じないとね。

最後はいくつかの社会問題。

少子化は日本政府の三〇年にわたる国策の成果である。そのことをまず認めるべきであろう。
とか、
男女雇用機会の均等は女子労働者への雇用機会の拡大であると同時に、誰からも文句がつかない「政治的に正しい」コストカットだったのである。
とか。結局はなるようにしてなったということ。でも、こんな日本でよかったのか…。

雁の寺/水上勉

雁の寺』を読んだよ。慈念の行方は?

本書は水上勉氏の1961年第45回直木賞受賞作品。水上氏の作品は映画にはまっていた10代の頃にいくつか読んだ記憶があるんだけど、本書はなぜか対象外。他の作品に比べて地味な印象だったからかな。

さて、この物語の主人公は慈念という少年僧。いや、第一部では単に寺の小僧だった。そして、その慈念の出征の秘密。母親は誰なのか、父親は誰なのか。そんな思いが常につきまといながらも、寺の雑事を淡々とこなしていく。
それでも、まだ少年と言える年齢の慈念は、

わしは、そのお母はんに会いたい思います、お父はんが誰であるか知りたい思います。これ迷いどすやろか。わしはやっぱりええ 坊さんになれまへん。
という思いを口にする。人間である限り、それは必然のこと。そんな中である事件が起こり、後半はその事件を背負って生きていく慈念。

でも、後半には、

「和尚 さん、わしには底倉におかんおります。わいを育ててくれたお 母んがおります」
と、自分に言い含めるような言葉を発する。自分的には「それでいいのか慈念はん」という思いが残る。慈念の行方は誰も知らない…。

この社会で戦う君に「知の世界地図」をあげよう/池上彰

この社会で戦う君に「知の世界地図」をあげよう』を読んだよ。社会に出るために必要なこと。

池上さんの東工大講義シリーズの第3弾。これで最終回ということで、テーマは「世界篇」。とはいえ、世界の中の日本なわけだから、世界から見た日本とか、日本から見た世界とかいう観点もあり、憲法とか、メディアとか、宗教の話も有り。

ということで、今回は自分的に気になったトピックを紹介。まずは、自衛隊違憲問題。
事例として、1976年の札幌地裁の判決について、

自衛隊の設置は「高度の専門技術的判断とともに、高度の政治判的断を要する最も基本的な政策決定」であり、こうしたことは「統治事項に関する行為であって」「司法審査の対象ではない」というのです。
と池上さん。いや、裁判所が決めなければ誰が決めるんだということになるよね。池上さんは、裁判所は「違憲立法審査権」を使わなかった。つまりは判断を逃げたのだと解説しているよ。おっしゃる通りだと思うけど…。

もう一つは年金問題。年金はそもそも保険なのだと解説。

保険ですから、「受け取れないのは損だ」という発想は、本来おかしいのです。たとえば生命保険。「もらわなければ損だ」といって早く死ぬ方が得という考え方はおかしいですね。損害保険の保険金がもらえるように自動車事故を起こそうとは、普通の人は考えません。
なるほど、これで年金の考え方がスッキリするよね。いや、勘違いしている人が多すぎるのが問題なんだけど。

最後に池上さんお贈る言葉

個人と企業、社会の「幸せな関係」とはどうあるべきなのかを考えてほしいと思います。この「幸せな関係」を築けない企業は、グローバル化の中で衰退していってしまうのだと思います。
そう、働き方改革とか在宅勤務とか、今こそそれを真剣に考える時代になってきているね。それが社会を作るということなんだと思う。

はじめての経済学/伊藤元重

はじめての経済学 (日経文庫)』を読んだよ。改めて経済学。

『吉野家で経済入門』で筆者の伊藤先生を知り、その後もJMOOCの講座などで伊藤先生の語り口とわかり易さに、池上さんに通じるものがあるのを感じていた自分。その伊藤先生の教える経済学の超入門という感じなのが本書。超入門と言いながらも、日経文庫で上下巻2冊なので、経済学について広く学べるし、読み応えも十分にあり。

上巻は経済学の基礎。アダム・スミスの『国富論』から始まる。

スミスが『国富論』を書いてから二百年、世界の通商政策や経済政策においては、自由貿易主義と保護主義の闘いの連続であるといってもよく、その中でさまざまな経済理論が生まれてきました。この問題はまだ決着がついているわけではなく、先に触れた反グローバリズムの動きなども、新たな形の保護主義のあらわれであると見ることもできるでしょう。
ということなんだけど、本書を読むと、まさにこの二つの主義の闘いを分析するのが経済学なんだということが分かるわけ。このトレードオフの二つの考え方を様々な仕組みで調整していく活動があるわけで、それらを理論的に捉えていくってことなんだよね。

そして、マクロ経済学ミクロ経済学の話。

経済学の基礎を成すのは理論的な分析です。この本でもマクロ経済学ミクロ経済学という、経済学の最も基本的な理論について学ぶわけですが、この経済理論には、高度で精緻な数理的分析から、数理的な分析によらないより深い思想的な考察まで非常に幅広いものが含まれています。
と経済学の幅の広さを説明する。とは言え、本書にはグラフで説明する箇所も多く、やっぱり数理的分析の方が理解できるし、説得力があるかな。

そして、自分が合点したのは、

雇用、労働、技術、資金を例にとって説明したように、多くの経済活動は企業の内部で組織的な形で行われていると同時に、企業を超えた市場でもさまざまな形で行われていることがわかると思います。企業の経営にとって重要な問題は、さまざまな経済活動のうちのどの部分を自らの組織の中で行い、どの部分を外の市場に求めていくかを判断することです。
ということ。様々な経済活動があり、国内のみならず海外との関係も視野にいれなくてはいけない中で、どうぞれらを組み合わせていくか。おや?やっぱり最適化とか、本書の中に出てきたゲーム理論の問題に落とし込めるってことなのかな?

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新釈 走れメロス/森見登美彦

新釈 走れメロス 他四篇 (角川文庫)』を読んだよ。メロスの本当の気持ちはわからない。

森見登美彦氏のKindle本を一気に3冊も買って積ん読にしていたけど、最近になって徐々に読み始めて、ついに3冊目。3冊も読むと、森見氏の論調というか、傾向と対策が読めてくる。それが癖になるかならないかが、4冊目に手を出すかどうかの分かれ目になるんだけど…。

本書は表題作の他4篇の短編集。とは言え、5篇が微妙に絡み合っていて、登場人物が主人公になったり、脇役になったり。特に、最初の「山月記」に登場する斎藤秀太郎という人物は本書全体として象徴的な人物として位置づけられているような…。その斎藤という人物。

人間の文明というものは、突き詰めればただ言葉と数学のみに拠っている。数学を選ばぬ以上、言葉を極める人間が最もエライに決まっていると彼は言った。それゆえに俺はエライに決まっていると。
と、甚だ勘違い野郎として描かれているよ。そう、この勘違い野郎が森見氏の小説の傾向と対策の肝になる。

さらには、

何者にも邪魔されない甘い夢を見続けていたいがために、いつ果てるとも知れない助走を続けて、結局俺は自分で自分を損なったのだ。
と青春にありがちな甘い思いをいつまでも引きずっている感じ。いや、それが青春そのものなんだろうけど。

桜の森の満開の下」では、

なぜならば、奇想天外な品々に囲まれて息をひそめ、好きなように文章を書き散らしていると、時折、もうどうしようもなく、幸福で幸福でたまらない気持ちになるからでした。いつまでもこの時間が続けばよいと思えるからでした。
とも。あぁ、これも人生が一生続くと勘違いした青春の大きな勘違い。そうそう、自分もそんなようなことを考えていたっけ。それを思い出させてくれたのもこの小説もおかげだね。

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大学はもう死んでいる?/苅谷剛彦,吉見俊哉

大学はもう死んでいる? トップユニバーシティーからの問題提起 (集英社新書)』を読んだよ。もう一度、大学とは何か。

副題は「トップユニバーシティーからの問題提起」。ここでのトップユニバーシティーとは、苅谷先生のオックスフォード大学と吉見先生の東京大学のことなんだと思う。ということで、本書はこの二人の先生の対談をまとめたもの。大学を取り巻くあれこれを話しているけれども、テーマは結局は「大学とは何か」に尽きると思う。

では、どのような対談になっているのか。まずは、ビジョンの話。

いずれにしても、さっき言ったように、大学は何を目指すのかという軸をちゃんと設定して、大学人が意識を変えるということが求められています。日本の大学人の間で、大学にとって最もクリティカルな問題は何かというところをゆるやかにでも合意形成しないと、ゴールを設定することもできません。
と苅谷先生。これが右往左往して社会、特に経済界に踊らされていく。その構図を変えていかない限り疲弊するだけだよね。

そして、「大学」と「ユニバーシティー」の違い。

要するに、ユニバーシティーで目指しているのは知識の伝達ではない。知識の伝達も必要ですが、与えた知識を通してどれだけアーギュメントできる人間を育てるかということがゴールなのであって、だから科目も少なくていいということになります。
あぁ、ここでもやっぱりゴール設定の問題。ゴール設定が違うから手法が異なっているんだよね。「大学」はあれもこれも教えなくちゃ…という議論が先行していないか?

もう一つは「グローバル人材」。

少なくとも、本当にグローバルに通用するような人は日本の国益に貢献する必要はなくて、人類に貢献すればいいんです。つまり、グローバル人材というのは人類に貢献する人たちの集団であって、貢献の宛先は日本のナショナリズムを超えていいのです。
と苅谷先生。うん、この視点はいいよね。日本のグローバル化の考え方の狭さが見えてくる。やっぱり、目先の利益に囚われた発想ではダメだな…。

「大学」が死んでいるとは思わないけど、生き生きと活動できる教育システムであってほしいよね。

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深海生物学への招待/長沼毅

深海生物学への招待 (幻冬舎文庫)』を読んだよ。光合成だけではなく。

辺境生物学者とかいうタイトルでNHKのTV番組「爆問学問」に登場したことのある筆者・長沼毅氏。番組では科学界のインディ・ジョーンズとか言われて、世界各地の辺境地を旅する姿が紹介されていたような…。
そんな長沼先生が辺境の地の一つである深海に生息する生物とその特徴を紹介するのが本書。特にチューブワームという深海底に生息する奇妙な生物がどのような生態なのかを明らかにするよ。

では、深海の生物を発見する意義はどんなところにあるのだろうか。

いや、熱水生態系の発見が有する本当の意義は、単に深海観を変えたことではなく、むしろ、われわれの生態観を変え、生命観を変え得ることだろう。それは、従来の「太陽に依存した生命」に対抗する新しい生命パラダイムを提唱することであり、地球生命の誕生と進化あるいは宇宙における生命の考察に新たな視座を与えることである。
要は、光合成による生命の糧の生産のパラダイム以外にも食物連鎖の軸があるということ。その代表が前述のチューブワームというわけ。だからこそ、チューブワームを研究する意義があるんだよね。

そして、生物の生態の話だけに留まらず、地球そのものの生態に発展していくよ。

世界最深の湖、シベリアのバイカル湖でも湖底にバクテリア・マットや生物コロニーが観察されており、湖底熱水活動が示唆されている。バイカル湖はもともと大陸の割れ目(地溝帯)の湖なので、海底の割れ目(リフト)に熱水活動があるように、バイカル湖に熱水活動があっても不思議ではない。
プレートテクトニクスだ。この地球の構造があるからこそ、生命誕生の基盤があるということだよね。

さらに話は宇宙に進展する。

地球以外の天体における熱水活動、それは地球以外の天体における生命の可能性を示すものである。今までわれわれは生命といえば太陽の恩恵の賜物と思ってきたが、宇宙規模で考えると太陽の恩恵とは無関係の生命のほうが実はふつうなのかもしれない。
これこそ、パラダイムシフト。普通と思っていたことは普通でないかもしれない。チューブワームのおかげかも。そう考えるとチューブワームが好きになりそうだね。

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