こんな日本でよかったね/内田樹

こんな日本でよかったね』を読んだよ。なるべくしてなった。

いつものウチダ先生のブログを編集してまとめたもの。副題は「構造主義的日本論」だけど、構造主義はに拘った感じはせず、どちからというと「日本論」に主題があるのかな…。

とはいえ、その日本を語る手法が構造主義。だから、冒頭では、

つまり、 人間が語るときにその中で語っているのは他者であり、 人間が何かをしているときその行動を律しているのは主体性ではなく構造である、というのが本書の主な主張であります。
構造主義における本書の主張を語る。うむ、人間は構造に律せられているということか…。でも、やっぱりその「構造」とは何か?を聞きたいんだけど、ここではひとまず置いておく。

では、構造主義的にこの日本をウチダ先生が語るとどうなるのか。
まずは、国語教育。

そのような言葉に実際に触れて、実際に身体的に震撼される経験を味わう以外に言語の運用に長じる王道はない。言葉によって足元から揺り動かされる経験に比べれば、作者の意図なんかどうだってよい。
そういえば、言葉によって身体的に震撼させられたことなどあっただろうか…。これもその国語教育の結果か。

だから、学校の先生がすることは畢竟すればひとつだけでよい。 それは「心身がアクティヴであることは、気持ちがいい」ということを自分自身を素材にして子どもたちに伝えることである。
これはよく分かる。分かることが快感でないと行動を起こさないのが人間だから。頭ではなく身体で感じないとね。

最後はいくつかの社会問題。

少子化は日本政府の三〇年にわたる国策の成果である。そのことをまず認めるべきであろう。
とか、
男女雇用機会の均等は女子労働者への雇用機会の拡大であると同時に、誰からも文句がつかない「政治的に正しい」コストカットだったのである。
とか。結局はなるようにしてなったということ。でも、こんな日本でよかったのか…。