雁の寺/水上勉

雁の寺』を読んだよ。慈念の行方は?

本書は水上勉氏の1961年第45回直木賞受賞作品。水上氏の作品は映画にはまっていた10代の頃にいくつか読んだ記憶があるんだけど、本書はなぜか対象外。他の作品に比べて地味な印象だったからかな。

さて、この物語の主人公は慈念という少年僧。いや、第一部では単に寺の小僧だった。そして、その慈念の出征の秘密。母親は誰なのか、父親は誰なのか。そんな思いが常につきまといながらも、寺の雑事を淡々とこなしていく。
それでも、まだ少年と言える年齢の慈念は、

わしは、そのお母はんに会いたい思います、お父はんが誰であるか知りたい思います。これ迷いどすやろか。わしはやっぱりええ 坊さんになれまへん。
という思いを口にする。人間である限り、それは必然のこと。そんな中である事件が起こり、後半はその事件を背負って生きていく慈念。

でも、後半には、

「和尚 さん、わしには底倉におかんおります。わいを育ててくれたお 母んがおります」
と、自分に言い含めるような言葉を発する。自分的には「それでいいのか慈念はん」という思いが残る。慈念の行方は誰も知らない…。