逆立ち日本論/養老孟司,内田樹

逆立ち日本論 (新潮選書)』を読んだよ。アッシにとっては視点の多様化。

養老先生と内田先生の対談集。養老先生も内田先生のその著作は何冊も読了しているので、思想というか考え方は大体分かっているつもり。その二人が対談するとなれば、どんな話になるか、期待は大きいわけ。養老先生自身は、この対談を「”高級”漫才」と評しているよ。高級過ぎて、ついていけない部分もあったけど、要は精神の緊張を必要とする対談なことは確か。

本書の中で、一番の緊張を伴ったのは、ユダヤ人問題。ユダヤ人とは何かの問いを考える際に、養老先生は「対偶」の考え方を使っているよ。つまりは、「ユダヤ人とは何か」の代わりに、「ユダヤ人とは何ではないのか」と。「対偶」とは難しい言葉だけど、「逆さまから考える」というと分かりやすいよね。論理学的には正確ではないけれど。
でも、「対偶」が真ならば、その命題も真なわけだから、考え方的には間違いないよね。この問題的にも、分かりやすくなるし。ユダヤ人論はまだまだ奥が深い話が続くけれども、ここではこれ以上が言及しない。

二人の話はまだまだ続くよ。
そのうちの「身体論」は二人ともお手の物だけど、「全共闘」の話まで出てくるとは思わなかったよ。確かに、内田先生はその世代だけど、養老先生はその上の世代だからね。

最後は、「蒟蒻問答主義」の章に登場する内田先生の言葉を引用。

世界の深さは、すべては世界を読む人自身の深さにかかっている。浅く読む人間の目に世界は浅く見え、深く読む人間の目に世界は深く見える。どこにも一般的真理など存在しないというのは、究極の反原理主義ですよね。
おっと、そうかも知れないね。コミュニケーションって、コンテンツより解釈だとも言っているわけだからね。

養老&内田ワールドは、一人づつの世界の倍になるわけではなく、相乗効果をもたらしているような。内田先生が武道の身体性で語ったように、第三の身体を形成しているのかもしれないね。

逆立ち日本論 (新潮選書)
逆立ち日本論 (新潮選書)養老 孟司; 内田 樹

新潮社 2007-05-24
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