わかりあえないことから/平田オリザ
『わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書)』を読んだよ。わかりあえるなんて、土台無理な話。
筆者は劇作家の平田オリザ氏。業界関係の某会の総会で、この平田氏に講演をしてもらう予定ということで、ちょっと読んでみようという気になった次第。
テーマは、副題「コミュニケーション能力とは何か」とあるようにコミュニケーション。演劇という世界から見るコミュニケーションって、何だか知りたい気になるよね。普段の生活で、演劇ってほとんど意識したことがないし。
では、どのような趣旨で本書がかかれているか。
わかりあえないことから出発するコミュニケーションというものを考えてみたい。そして、そのわかりあえない中で、少しでも共有できる部分を見つけたときの喜びについても語ってみたい。と筆者。ともすれば、日本人はわかりあえることが当たり前の世界で生きてきたわけで、わかりあえないことにストレスを感じやすいよね。でも、世の中が多様化し、異文化とのコミュニケーションが必要になってきたこの時代。日本人には非常に難しい時代になってきているんだよね。だからこそ、「わかりあえないことから」考えることが必要なんだろうね。
そして、コミュニケーション教育は国語教育なのか?という筆者の疑問。現在の国語教育の基本は「正しい言語」が存在し、その「正しい言語規範」を教えることだとしているわけで、それをまずは払拭する必要があるのだと筆者。さらには、
そうして、国語教育を、身体性を伴った教育プログラム、「喋らない」も「いない」も表現だと言えるような教育プログラムに編み直していかなければならない。と言っているよ。発想の転換というか、そもそもの考え方を変えなければダメだよね。最近の教育界でよく言われている、inputよりoutput重視という考え方だよね。
コンテクストの「ずれ」という考え方が途中で登場して、非常に興味深い概念だけど、残念ながらここでは省略。最後は「いい子を演じる」について。
「自分探し」とか「本当の自分とは何か」とか、アッシ的には眉唾ものだと思うけど、筆者も同じ。科学哲学の村上陽一郎先生が、人間を皮の総体としてタマネギに例えているという話を取り上げ、
人間もまた、同じようなものではないか。本当の自分なんてない。私たちは、社会における様々な役割を演じ、その演じている役割の総体が自己を形成している。と言っているよ。そう、「本当の自分」なんて、どこにも無いよね。「仮面」と同義語に「ペルソナ」という言葉があるけれども、これって「人格」という意味もあるとか。だから、仮面の総体が人格を形成するって、分かるような気がするなぁ〜。
わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書) | |
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