マッハの恐怖/柳田邦男

マッハの恐怖 (新潮文庫)』を読んだよ。それでも飛行機は飛び続ける。

柳田邦男氏のノンフィクション、いつかは読みたいと思っていたけど、氏の作品で最も興味があったのが本書。っていうか、中高生の頃から気になっていた本であるのは確か。けれども、文庫本で500ページ近くある厚みに怖気づき、手が出なかったというのが正直なところ。でも、10代の頃、特段に飛行機に興味があったわけではなく、本書に惹かれた理由が思いつかないんだけど。

では、本書。単行本は昭和46年の発刊だから、かなり古い。そして、事件は昭和41年に起こる3件の航空機事故。それも、1ヶ月の間に起きたもの。航空機事故ってめったに起こるものではないし、起こったとしても忘れた頃にという感じなのに、連続3件というのは衝撃的。その3つの事故を丹念に追ってまとめたのが本書。

さて、3つの事故に通底する概念は何なのか。それは、事故の原因が人災なのか、それ以外の要因なのかという点。例えば、BOAC機の場合。同社による『事故調査報告書』には、

「調査報告によると、この事故はきわめて異常な気象状況が原因で起きたもので、“天災”といえる不測の事故であったことは明白のようです」
と書かれている。でも、本当にそうだったのだろうか。著者の取材では、機器飛行方式から有視界上昇に切り替えた理由を追求し、富士山見物が目的であった蓋然性が否定出来ないことを指摘しているよ。

そして、カナダ太平洋航空機の場合。

この事故は、一機長のミスとして片付けてしまうことのできない重大な問題を含んでいる。それは、“マッハ文明”なるものが、いかに脆く、そして、かぼそい稜線の上に構築されているかを、まざまざと露呈したものなのだ。
と著者。ミスはミスなんだけど、どうしてミスが起きたのか。システムと人間の関係、それこそがことの本質なんだよね。

最後は、全日空機の事故で、これが一番厄介。
こちらも事故の原因は、パイロットのミスとして片付けられてしまったわけだけど、どう考えてもしっくりこない結論なわけ。

過ちを起こしやすい人間の能力をいかにカバーするかという「人間工学」や「フェイル・セイフ」(二重の安全)が近年重視されるようになったゆえんは何だろうか。
と著者。

人間とテクノロジーの調和っていうとかっこいいけど、どこまでが人間でどこから機械なのか、区別なんて付けられないのが現実なんだよなぁ〜。

マッハの恐怖 (新潮文庫)
マッハの恐怖 (新潮文庫)柳田 邦男

新潮社 1986-05
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