私の身体は頭がいい/内田樹

私の身体は頭がいい (文春文庫)』を読んだよ。身体あっての頭だから。

内田先生は久しぶりだけど、本書は先生の初期の著作。テーマはあえて一言で言ってしまうと「身体論」。いや、こんなに簡単に一言で片付けてしまうと内田先生にお叱りを受けそうな気がするけど…。念のために、もう一つ修飾するとしたら、「武道的身体論」かな。

ここでいう「武道的」とは何か。これは主に、内田先生の修行されている合気道を差しているよ。この武道から考えた「身体を運用する」ということを、内田先生独自の視点で解釈するのが、本書の趣旨。

で、頻繁に登場するのが「居着き」という単語。これは、

「居着き」とは文字通りには、足裏が床にはりついて身動きならない状態を指す。より一般的には、心理的なストレスが原因で身体能力が極度に低下することを意味する。
ということ。これを克服することとは、いろいろな意味で非常に重要そうなのは何となく分かるよね。だから、本書では、この「居着き」を克服すること、その一点を集中的に考えてみるわけ。その答えの一つとして、
そして、非中枢的身体運用の習得は必然的に「守るべき私」という観念そのものの廃絶を要請せずにはいない。
と言っているよ。つまりは「考えるな」ということだよね。これを武道でいうと、「機会的に反応する」ということ。だから、形稽古について、
「理想的状態」においてのみ可能な「理想的身体操作」をまず「形」として確立し、その「体感」を身体が記憶してゆくのである。
と説明しているよ。あっ、これって、武道に限らない概念だよね。

最後は複素的身体論の話。

敵が私の可動域を制約し、私の選択肢を狭めるものとして観念されている限り、つまり、「主体ー敵」スキームに立つ限り、最終的には単独であることこそが身体的運用の理想だということになる。
これを裏返せば、敵の力を利用して、自分の身体運用の中に取り込んでしまえば、理想の身体的運用になるということ。これが複素的身体運用の極意。あぁ、これも武道ではよくある話。でも、野球でもバットを自分の腕の延長のように…なんて言われるから、これも身体とバットで複素的な身体運用っていうわけだよね。

ということで、今回も、内田先生の論理展開は息をもつかせぬ読み応え。これが楽しくて、ついつい読み進んでしまうのでした〜。

私の身体は頭がいい (文春文庫)
私の身体は頭がいい (文春文庫)内田 樹

文藝春秋 2007-09-04
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