ここにないもの/野矢茂樹

ここにないもの - 新哲学対話 (中公文庫)』を読んだよ。哲学者はこういう対話をするのだろうか。

筆者は哲学者の野矢茂樹先生。過去に何冊か著作を読んだことがあるけれども、哲学というより論理学に関するものが多かったかも。とは言え、どちらも筋道を立てて、ものごとを順に追って行くという行為によって成果を出すことに代わりはなく、その対象がちょっとだけ違うことだけだよね。論理学も数学に近い感覚だから、アッシ的には全く違和感がない感じ。

で、本書。
本文に入る前に、作家川上弘美氏による解説。ここで川上氏は、本書に登場する二人の会話を「いい気持ち」と表現する。そう、本文を読むとこの感覚が分かるんだけど、それを冒頭で語られると自然と期待感が増すというもの。で、実際にどうかというと、やっぱりいい気持ちになるわけ。アッシ的には、論理を展開した先に開ける、先を見通せたという感覚かな。

おっと、前置きが長くなった。本書の登場人物は、エプシロンとミューの二人。この二人の会話が論理を展開する。
例えば、人生は無意味か?という論議。エプシロンは、

「思いもよらないものが現われる。その未知の思いの可能性。それはもう思いもよらないものだから考えたってはじまらない。その、考え以前の予感が輝きを失いかけているとき、<人生は無意味だ>っていうため息ともつかないことばになって出てくるんじゃないか」
と言う。でも、考えることが無意味だというわけではなく、考えるからこそ、思ってもみなかったことが発見されるというわけ。だから、考えないと余計に意味がなくなってしまうんだろうね。うん、やっぱり考えることって重要。

さらには、<現われ>と<実在>の問題。これを、

この茶碗は、視点の位置と体の状態が決まれば、どんなふうに見えるか決まる。その決まり方、その秩序、つまりその関数が、<この茶碗>にほかならない。
と説明しているよ。うん、数学を使って説明されるとスッキリ分かる感じ。

最後は未来の存在について。

一瞬ごとに、新たなものたちが、これまでの過去に接続され、生成し、出現する。慣れた道なのだけれど、これははじめてなのだ。<中略>無限にある可能性のひとつが、その瞬間ごとに、新たな産声をあげる。
つまりは、「未来は存在しない」。うん、それでいいんだと思う。いや、そうでなければ、ならないんじゃないか?
と、「やっぱり、よ〜く考えるって楽しいよね。」と思わせる一冊でした〜。
ここにないもの - 新哲学対話 (中公文庫)
ここにないもの - 新哲学対話 (中公文庫)野矢 茂樹

中央公論新社 2014-04-23
売り上げランキング : 54760


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

応援クリックはこちら→にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ