はじめて考えるときのように/野矢茂樹

はじめて考えるときのように―「わかる」ための哲学的道案内 (PHP文庫)』を読んだよ。こういう厳密な議論が好き…。

久しぶりの野矢先生。
ざっくり言うと、「考える」って何だろうってことを探求した本なんだけど、哲学のようであったり、論理学のようであったりする内容なので、野矢先生の入門書という位置付けが適切かも。

で、いきなり「考える」ということは何だろうかと考える。哲学とはなぞなぞみたいなものだとか、ひとつのモノに対する習慣的な見方から脱出するとか、「考える」ことの表現は色々だけど、要は「問いへの問い」だと言う。

考えるということ。問題を考えるということ。それは問題そのものを問うことだ。問いへの問いが、答えを求める手探りと一緒になって、らせんを描く。答えの方向性が少し見えて、それに応じた問いのかたちが少し見えてくる。そうするとまた答えの方向も少し見やすくなってくる。そうして進んでいく。
ということ。「考える」ってことは、そうそう単純な話ではないわけ。それを思うと、アッシは本当に考えているんだろうか?と考えてしまう…。

そして、論理の話。
どうしてここで論理の話が出てくるかというと、「考える」ことと関連があるから。つまりは、「論理は考えないためにある」から。よくよく考えてみれば、確かにそう。純粋な論理は、論理に当てはまれば、答えが出て考える必要がないよね。ほ〜、これは慧眼。

さらに、「ことば」との関係。「考える」ことは可能性の世界への飛躍だとも。

現実ベッタリなら「考える」ということは出てこない。考えるということは、現実から身を引き離すことを必要とする。現実からいったん離陸して、可能性へと舞い上がり、そして再び現実へと着地する。こんな運動がそこにはなくちゃいけない。そのための翼が、ことばだとぼくは思う。
可能性を探ること、これも「考える」ことの重要な要素だね。

哲学って、当たり前だと思っていることをあえて疑う。でも、それで自分の枠組みが見えてくる。そこから「考える」ことが始まるんだろうね。
繰り返すけど、アッシは本当に考えているんだろうか…。これから、よ〜く考えてみよ。

はじめて考えるときのように―「わかる」ための哲学的道案内 (PHP文庫)
はじめて考えるときのように―「わかる」ための哲学的道案内 (PHP文庫)野矢 茂樹 植田 真

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