哲学的な何か、あと科学とか/飲茶

哲学的な何か、あと科学とか』を読んだよ。科学を哲学的に見ると混乱する…。

飲茶氏の著作は、先に『哲学的な何か、あと数学とか』を読了していたので、今回は氏のデビュー作の本書。『哲学的な何か、あと数学とか』は哲学的っていうより、かなり数学に近かった感じがするけど、本書は科学を哲学的に見てみるという感じ。割合的には半々かな。でも、こんな風に割合で割ってしまうという考え方は本書的にはヘンなのかも。

冒頭は哲学の話。哲学って言っても、論理。公理の上に論理が成り立っているんだけれども、その論理さえ、根拠を示す論理が必要で、それを「正しい」とするのは単なる「決めつけ」でしかない。結局、

自分自身で決めたルールの中で、自分自身を正しいとしているのであるから、つまるところ「論理」というものは、「自作自演」なのだ。
と、軽いジョブを読者に繰り出す。

そして、本書の最大のテーマの量子力学へ。
光や電子は粒子でもあり波でもあるということはよく知られていることだと思うけど、光や電子だけではなく、原子や分子もその性質を持つ。ということは、この世界は「波であり粒子である何か」から出来上がっているということになるわけ。そう、理解しがたい世界。でも、それが実験から確かめられる現実。
さらに、2重スリット実験では、もっと不思議なことが起こる。

電子は、「観測される前は波であり、観測されると粒子になる」ということを意味する。
有り得ねぇ〜。でも、これが有名な「コペンハーゲン解釈」。
そして、この実験の革命的な点を、
「観察していないときは可能性しか論じられず、観測していないときには、その可能性こそが存在である」
と解説する。なんじゃぁ、こりゃ〜。
このあとは多世界解釈パイロット解釈などが登場するけれども、どれもが「定理」や「法則」ではなく、あくまで「解釈」であることに注目すれば、「解釈」は科学ではなくなってしまう。そして、科学の限界を知ることになるわけ。科学ってそんなに無力なのかなぁ〜。残念だなぁ〜。

最後はまた哲学的な話に戻る。
茂木先生のクオリアや意識問題。そして、哲学的ゾンビ。「自由意志はあるのか」についても分かりやすく解説。同じような解説をどこかで読んだことがあるけれども、本書の説明はかなり分かりやすいよ。

全てのテーマは、今まで別の本で何度も読んだことがあることばかり。そう、現代科学の基本なんだけど、その根本にあるのは哲学。こう考えれば、こうなるっていうのは、やっぱり哲学の問題なんだろうね。
それにしても、哲学的に考えると、意外な答えに到達することが多いよね。どうしてだろ。分かったような気になっている人間へ一撃を食らわすという役割が哲学にはあるんだろうか…。

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