「知」の挑戦 本と新聞の大学I/姜尚中,一色清,依光隆明,杉田敦,加藤千洋,池内了

「知」の挑戦 本と新聞の大学 I (集英社新書)』を読んだよ。挑戦というのは大袈裟だけど。

「本と新聞の大学」という企画の中で行われた講演や対談をまとめたもの。この企画の趣旨を冒頭の基調対談で姜尚中氏が説明する。そこでは、「知」というものを「生もの」と「干もの」に例える。「生もの」の代表は新聞などのメディア、「干もの」は大学や本を中心とした知を指すという。そして、その二つの知を総合知として身につける。うん、これってまさに「教養」だよね。現代に必要な教養って、まさにこれだと思うよ。
ということで、この総合知を得るために各分野からレクチャーを行い、フロアと考えていこうというのが、この企画の趣旨だとか。うん、アッシ的には楽しみな企画!って感じ。

では、どんなネタが出てくるか。
まずは、姜氏が冒頭の対談で述べたことがアッシには印象的。日本は民主主義とはかけ離れてきているということ。

たとえば、いまの日本の政策は極端にマーケット主導になっていて、その動きを無視したあり方はすでに考えられません。為替相場や株式相場に黄色いシグナルや赤いシグナルが点灯したら、ガバメントは国民の意志がどうであろうと、それに従った政策をとらざるを得ない。
そう、国民主権の政治判断ではなく、マーケットの判断で政策が決められていく。これは明らかに違うよね。アッシもその傾向を最近感じ始めてはいたんだけど。

基調講演での話からもう一つ。ドイツのメルケル首相は、日本の東日本大震災を受けて、ドイツ国内の原発を考えるに当たり、「倫理委員会」を立ち上げる。そのメンバーは原子力が専門でない者が多数。これは、全体状況を判断するためには「総合知」が必要だと考えたからだと。

私たちは何事か問題を考えるとき、普通、それが属している分野の専門知を集めようとします。正確を期すためにはそれが最良の方法だと考えてしまう。でも、実はそうでもないのですね。その問題が社会的な広がりを持っていて、多くの人々の生活にかかわるような場合は、広汎な総合知から眺めるほうがいいのです。
と姜氏。この場合は、ひとりの「総合知」ではなくて、複数の人による「総合知」だよね。「集合知」に近い概念かな。

おっと、基調講演での話を長々をし過ぎた。でも、これがこの企画の通底する話題だからいいか。この後の講演は、新聞、政治、中国や科学の話題。で、最後に科学の講演から。

講演者は池内了氏。アッシ的にピンと来たのが科学と技術の違いについて。
科学は「発見の知」、技術は「創造の知」であり、両者は全くの別物であると言っているよ。

しかし、我々は日常生活のなかで技術を介して科学の恩恵に浴しています。そして、他ならぬこの二つの関係のなかに、つまり「科学を技術によって人工物に応用するとき」に、いまいった「妥協」が生まれるのです。
と。そう、技術は妥協の産物。決して、科学の粋の中で生きているわけではないよね。原発の議論も、
科学として考えるのか、技術として考えるのかによっての意見の対立が生じているように思うんだけど。

で、この企画。シリーズものみたい。次回も楽しみにしています〜。

「知」の挑戦 本と新聞の大学 I (集英社新書)
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