姜尚中の青春読書ノート

姜尚中の青春読書ノート』を読んだよ。誰にでも思い悩む青春の時があるよね。

難解だった『愛国の作法』に懲りずに、また姜尚中氏。タイトル通り、氏の青春の時に読んだいくつかの本を取り上げ、氏の人生にどのような影響を与えたかをまとめたもの。

まずは、夏目漱石の『三四郎』。筆者が初めて東京に出てきた時の印象を、司馬遼太郎の言葉を引用して、「帝都東京は巨大な配電盤である」と言っているよ。ここで注目は「帝都」という言葉。この言葉は、明治国家の成り立ちに必要だったと。帝都という擬制をアンブレラにして、新しい国家のシステムを作ったのだという。

その東京と対比して筆者の熊本というパトリ。ここで『愛国の作法』が登場するよ。

『愛国の作法』の中でわたしが語ろうとしたことは、パトリオティズムナショナリズムの複雑な絡み合いと分岐を解きほぐし、再び、パトリオティズムの本来の意味から「国を愛する」ことを考え直すことでした。
う〜む、そう書かれると、アッシが何とか読み解いたまとめはとんでもない方向違いではなかったということで、ひとまずホッと…。
と、いうことで、『三四郎』については、三四郎が感じたことと同じことを筆者が熊本と東京に感じたというような意味合いを読み取れるよ。

つづいては、ボードレールの『悪の華』。対照的な言葉の並びがちょっと怖い。
少年事件などの報道ででよく出てくるけど、「心の闇」という言葉があるよね。でも、「心の闇」は少年だけの特権なのか?と考えた時に、いやそうではないだろうと思うよね。当然、筆者も「闇」を持たない人間なんて誰もいないという。そして、人間は一義的な回答を求めがちであるけれども、人の心そのものは多義的な解釈を許すものに充ち満ちていると。そして、ボードレール

ボードレールは、わたしたちが「心の闇」などというクリシェ(常套文句)で片付けてしまいがちな心の「悪魔の群」に限りない哀切にも近い眼差しを向けているように思えます。それが、私を魅了して離さないのです。
と。

もうひとつ、丸山真男の『日本の思想』。ここでは、戦前の「国體」が登場するよ。この摩訶不思議な「機軸」は、滑稽なほど曖昧で、日本の伝来の「思想的雑居性」をその実態的な支柱としていたと筆者は言う。そして、日本の全体主義は、「前近代」と「超近代」の吻合だとも。

このような奇妙な全体主義は、日本の国家の形成が、「制度の物神化」と「自然状態」(実感)の対立的な共存のダイナミズムによって駆動されていました。「超近代」と「前近代」の吻合とは、このことを指しています。
と説明しているよ。そして、丸山真男は、この「二正面作戦」が取り組むべき課題だったと。
ここの論理は難しいけれども、アッシ的には、要は得体の知れないものに振り回されていた日本人のことはよ〜く分かったような…。

読書ノートの対象となった本は他に2冊ほどあったけど、そちらは省略。

『愛国の作法』より、精神の緊張の伴う度合いは低く、やっと普通の新書レベルに戻った感じ。これからも、姜尚中氏の本を読んでみようという気になりました〜。

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