ビッグデータ社会の希望と憂鬱/森健

ビッグデータ社会の希望と憂鬱 (河出文庫)』を読んだよ。憂鬱ばかりのような…。

ビッグデータという単語が去年あたりからIT系のキーワードになってきていたので、何とはなしに関連する本を探していたんだけど、すぐに目についたのが本書。でも、よくよく見てみると、単行本が出たのが2005年と、ちと古い。単行本のタイトルは『インターネットは「僕ら」を幸せにしたか?−情報化がもたらした「リスクヘッジ社会」の行方』という長ったらしいもので、しかもビッグデータなんていう言葉は出てこない。
良い方に考えてみれば、2005年当時からビッグデータ的な概念は存在していて、単語としての「ビッグデータ」が存在していなかっただけなのかもしれないけど。

ということで、本書の主題はビッグデータというより、単行本のタイトルにある通り、インターネットのリスクについて。リスクヘッジというより、どう付き合うかの問題。付き合い方は人それぞれに考えてみる必要があり、それを考えるためのネタ提供が本書の役割と言っていいかも。

では、どんなネタがあるのか。まずは、メールを代表するコミュニケーションツールあれこれ。そして、検索エンジンソーシャルメディアなどが、人間系のもの。これはパーソナルゼーションというキーワードで括られる。
ハードウェア系では、ICタグGPS、監視カメラなどの位置情報ツール。
これらのキーワードから抽出される結論は、個人情報管理上のリスク。
そう、こうやってよくよく並べられてみると、一人ひとりの行動があらゆる場所で取得されていることを感じるわけ。そして、バラバラに取得された情報が統合的に一元管理され、「名寄せ」されたとしたら、あっという間にプライバシーがバレてしまうのは明白だよね。
あぁ、ビッグデータ社会の憂鬱だわ。

そして、究極的には社会規範にも影響を及ぼしていくビッグデータ。米シカゴ大学レッシング教授の『コード』から引用し、さらに、

もう少し明確な言葉を選べば、「われわれはネットワークのコードによって思考や行動もコード(規定)されつつある」と言えるだろう。
と言っているよ。端的に言うと、情報技術に使われているというおかしな状況、そうしないといけないような圧力が「コード」になっていると。

最後はこんな言葉も。

一つ確かなのは、そんな逆説的な潮流がわかったところで、誰も情報技術の利便性を手放しはしないだろうということだ。
うん、これは確実に言える。そして、そんなビッグデータの有り様を知っているか知らないかは、大きな違いにはなってくるんだろうね。
ビッグデータ社会の希望と憂鬱 (河出文庫)
ビッグデータ社会の希望と憂鬱 (河出文庫)森 健

河出書房新社 2012-11-03
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