われ笑う、ゆえにわれあり/土屋賢二

われ笑う、ゆえにわれあり (文春文庫)』を読んだよ。初めての土屋賢二

なんのきっかけだったか、まったく記憶にないのだけれども、気になっていた土屋先生の著作。読むチャンスもなかったこともあり、頭の隅に置きながらも、しばらく放置。で、やっと今回、初登場。当然、デビュー作の本書を選んでみたよ。

で、土屋先生の本。実に巧妙な文章で、一字一句見逃さないように読まないとその面白さが分からないようにできている。さすが、哲学者としか言いようがないけど。ん?哲学者というか数学的なのかもしれないね。
しかも、エッセイ風でもあるけど、創作風でもあり、そこが微妙なバランスの上に成り立っていて、その妙が前述の巧妙の妙かもしれない。

たとえば、「はじめに」で本書について、

本書を買った人のなかには、例外的に、面白くないと感じる人がいるかもしれないが、しかしその場合でも、面白くないことが分かった、ということに意味があるのではなかろうか。
とか、
このような場合、たまたま出来の悪い一冊に当たった可能性が考えられる。どうかもう一冊買ってみていただきたい。そうすれば必ずや、読者が満足するか著者が満足するか、いずれかの結果が得られるはずである。
と。要は本を買ってくれというわけなんだけど、論理的には間違ってはいない文章になっているよね。そう、こんな風に、論理的には間違ってはいないんだけど、内容的にはどうなんだ?という文章が続くわけ。

アッシが気に入ったのは、「助手との対話」と「学生との対話」。
哲学の素養のある者同士の会話だから、まさに論理の押収。それが正義に反しているとか、常識的に考えて変だとかいう観点は筆者にはない。それを論理で反論する助手と学生は、アッシ的にはアッパレという感じ。

もう一つは、「妻」という単語が度々登場すること。要は、直接的な攻撃を避け、本書で論理的な攻撃を展開するわけ。でも、紫門ふみによる解説では、筆者の奥様は「松本ちえこ」似だとか。松本ちえこも妻になれば、色々とあるんだろうね。と、これは本書に関係ないわ。
まぁ、アッシ的には、笑うというより真剣に論理を追ってしまったのでした〜。

われ笑う、ゆえにわれあり (文春文庫)
われ笑う、ゆえにわれあり (文春文庫)土屋 賢二

文藝春秋 1997-11
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