まじめの崩壊
『まじめの崩壊』を読んだよ。アッシはまじめなのかふまじめなのか…。
精神科医の筆者が精神医学的な分析から、昨今の日本人のふまじめさのについて語った本。「まじめ」とひとこと言っても、これだけ丁寧に分析すると一冊の本になるんだね。
まずはじめに、人間の性格を二つに分類する。まじめな(自分をしっかりと持っている)「メランコ人間」とふまじめな(いいかげんで自分がない)「シゾフレ人間」。
まじめな日本人のイメージはメランコ人間が支えてたけれども、1955年生まれ以前の日本人はこのメランコ人間が多数を占めていたけれども、これ以降は徐々にその割合が小さくなってきているという。そして、現在はシゾフレ人間が多数を占めているのだと。
では、さらにそれ以前はいつからメランコ人間が多くなってきたのかというと、江戸時代はシゾフレ人間が多く、幕末からメランコ人間が増えてきたという。
そう、江戸時代のような封建社会は、まさに格差社会。自分なんて無い時代だったからね。これはまさに『「明治」という国家』に書かれていた背景と一致するよね。
日本人はウソつきになったのかという論点も面白いよ。日本人は組織を守るためにウソをつくことが慣習化していたのだと。ここにもメランコ人間の性格が表れる。
メランコ人間は自分の所属する共同体を非常に大事にします。そのため共同体を守るためにウソをつくことを厭いません。と。ここでいう共同体とは、やっぱり世間のことだよね。となると、シゾフレ人間が増えたということは世間も崩壊してきているということかなぁ。そういう風には思えないんだけど。シゾフレ人間にしても世間を崩壊させることは難しいのかも。
そして、「まじめの崩壊」の背中を強く押したのが「株主資本主義」であるという意見。「ものいう株主」からの利益追求要求によって、社員へ還元していたものを株主に還元する方針に転換したことによる結果だと筆者。まじめに働いていた人への還元が減れば、ふまじめな社員が増えるのは自然だよね。
まじめといえば、ルールを守る守らないの判断もその基準になるよね。日本はルールがあっても、世間のローカルルールが優先されるような変な国。たとえば、憲法第9条と自衛隊。
本来は認められないものが堂々と存在している状態はあまり気持ちがいいものではありません。まじめな人であればなおさらです。憲法改正論議がずっと続けられてきた背景には、憲法違反である自衛隊が存在していることに対するこうした日本人の後ろめたさがあることは間違いありません。と言い、これが暴走に歯止めを掛ける効果があったのだという。つまりは、憲法問題的には、第9条はこのままでよいのだとも。ただ、この意見はシゾフレ人間が増えたことによる結論なんだよね。
さて、日本人がまじめさを取り戻すにはどうすればよいのか。フィンランドの事例が参考になるという。つまりは教育。まじめな大人の姿を見せることが大切だとも。
それには、
手本となるまじめ人間の姿を見せつけたり、「まじめがカッコいい」と心から思える状況を作ることが必要となります。そう、アッシ自身は「まじめがカッコいい」と思う方。確かに世の論調は「ふまじめがカッコいい」なのかもしれないけど。チョイワルオヤジなんかぶっ飛ばせ〜。
まじめの崩壊 (ちくま新書) | |
和田 秀樹 筑摩書房 2009-01 売り上げランキング : 148852 おすすめ平均 全体としてのまとまり、検証、分析が不十分な感じ (崩壊する?!) 砂上の楼閣の議論 終身雇用制崩壊が原因か Amazonで詳しく見る by G-Tools |