早稲田と慶応 名門私大の栄光と影
『早稲田と慶応 名門私大の栄光と影』を読んだよ。強いところはさらに強くなる様相。
タイトル通り、早稲田大学と慶応義塾大学の強さ・弱さを分析した本。その比較対象として、東大、京大、一橋大なども、話題としてあちこちに登場するよ。
まずは早慶両校がなぜ伸びているのか。理由のひとつとして国立大学の入試改革が上げられているよ。
共通一次試験や一期校・二期校の廃止など。このような制度改革については、両校の政治的への働きかけがあったのではないかと勘ぐれないこともないけれども…。
第二章では、両校の二人の創設者を追う。福沢諭吉も大隈重信も『「明治」という国家』や『この国のかたち』に登場しているから、アッシ的には違和感無し。
では、両校に死角はないのか…。
慶応では、一貫教育によるメリット・デメリットを浮かび上がらせているよ。
デメリットとしては、恵まれた家庭で育った子供がほとんどであるので、世の中には多種多様な人間が存在することを知る機会がなく大人になるということを危惧しているよ。
ある意味で、公立校はそういう環境を自然に提供しているわけだよね。アッシの持論としても、小学校は公立校がよいと思うよ。
メリットとしては、頭でっかちな人間にならないということ。特に実業界においては、学力よりもコミュニケーション能力とか交渉力とかが大切。大学に入るための勉強とは違うからね。
ここで福沢諭吉の主張で面白い話題を。『学問のすゝめ』で「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と説いたよね。これは、努力の差が結果の格差を生むとした論理で、正しい主張であると筆者は認めているよ。でも、「父母の経済力に差によって子弟の受ける教育に差が生じても仕方がない」と主張しているように読める文章も残しているとか。まさにこの伝統も現在まで続いているものかもしれないね。
さて、早稲田はどうか。
早稲田は慶応を比べて学生数も多く、最近はさらに学部を増設したりしてマンモス化しているよね。これに対し、当の早稲田はどう考えているのか。
早稲田ではもともと講義に出席する学生の数が少ない、すなわち講義をサボるので、すでに少人数教育をやっている。とか、
もともと早稲田は自由放任主義なので、上から教えるのではなく、自分で学ぶ雰囲気が強く、マスプロ教育を心配する必要はない。といった声が関係者から聞こえてくるとか…。
アッシ的には凄い自信というか…。
最終章は、両校を離れて日本の大学の生きる道がテーマ。
大学全入時代と言われ、要は学力が不足する学生も大学に入ってくる時代になっている。さて、このような学生に大学はいままでと同じ教育を施していくことでよいのか?と筆者は考える。そして、その結論として、
多くの大学において、大学を学術・専門教育の場とするよりも、よき職業人になるための技能を授ける場とみなすことができれば、かなりの問題は解決できると私は判断している。と述べているよ。
そう、この主張は正しいかも。実質的にも学術を教授するだけの大学は少なくなってきているのだと思う。大学に対する社会的な要請も違ってきているわけだしね。
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