死ぬための教養
『死ぬための教養』を読んだよ。本としての面白さはほとんど無し…。
著者の嵐山光三郎氏、以前はTVによく出ていたけど、最近はあまり見かけないね。それでも執筆の世界ではまだご活躍中のようで、本屋で最近上梓された『悪党芭蕉』などを見て、いつかは読んでみたいと思っていた筆者のひとりだった。
で、ネットのどこかで、『唯脳論』、『バカの壁』、そしてこの『死ぬための教養』が
中高年男性必読の三部作などと書かれていて、嵐山光三郎のデビューをこの本にしたわけ。
ところが、内容的には、筆者が死に掛けた際に病院や療養中の自宅で読んだ「死」に関する本の内容になっているよ。もしかしたら、半分くらいは本の引用かも。それはそれでいいんだけど。
で、いきなり「死ぬための教養」って言われても、それは何?って感じなんだけど、「はじめに」にこんなことが書いてある。
「自分の死」を受け入れる力は、宗教ではなく教養であります。死の意味を知るために人間は生きているといってもいいのです。教養のみが自分の死を受け入れる処方箋になるのだと。そう、宗教は最後の砦にはならないんだね。宗教は他者頼みって感じだし、死ぬのはあくまでも自分。だから自分自身が死を受け入れるために必要なことは自分自身の「死ぬための教養」なんだね。
では、死ぬための教養をいくつか紹介。
文芸評論家の村松剛『死の日本文学史』にこのような記述があるという。
『しぬ』の方は折口信夫によると漢音からでた『死ぬ』とは別系統の語で、ひとを恋い慕う意味の『しぬぶ』と同根であるという。あ〜、いかにも日本人的でいいなぁ〜。筆者も言っているけれども、「デッド」じゃ気分が出ないよね。
もうひとつは、小児科医の松田道雄『安楽に死にたい』。
死ねば呼吸がとまり心臓がはたらかなくなり、<中略>意識がなくなります。この世に生まれる以前の状態にかえるのですから、それはこわくありません。こわいのは息をひきとる前に、病院でいろいろ苦しまなければならないことです。これはまさにアッシが考えたいたことと同じ。どうも、日本の老人はみなこのようなことを考えているみたい。
それにしても、驚いたのが、これだけ「死」に関する本が世の中に出ているということ。そう、いくら「死にための教養」を身につけようとしても、誰もが腑に落ちることはないんだろうね。
死ぬための教養 (新潮新書) | |
嵐山 光三郎 新潮社 2003-04-10 売り上げランキング : 238526 おすすめ平均 駄本 死を受け入れるための教養の再認識 軽快に語ろう! Amazonで詳しく見る by G-Tools |