「空気」と「世間」/鴻上尚史

『「空気」と「世間」』を読んだよ。鴻上尚史は演劇の人だと思っていたけど…。

阿部謹也先生の世間論にはすっかりはまっているアッシだけど、阿部先生以外で世間について詳しく書く人は少ない感じ。そんな訳で「世間」とかいうタイトルの本を目にすると思わず読まずにはいられない。
で、今回も本屋をフラフラしていた時に見つけたのが本書。筆者は演劇の人・鴻上尚史。名前は知っていたけど、こんな本を書いていたとは。

まずは、「空気」とは何か?から。KYとかが流行っていたけど、じゃその「空気」って何だ?って言われると、なんだか分からないよね。っていうか具体的に言えない。
ということで、「空気」を解説するのに、「世間」を考えるというアプローチから始まる。そして、登場するのが阿部先生。本書の前半はほとんど阿部先生の「世間」の考え方の解説って感じ。阿部先生の著作がかなり引用されているよ。

ところが、若者に「世間」の説明をしてもピンとこない。そこで、「空気」と「世間」の違いを説明するとピンとくる。

ある大学の講演会で、これから書く「世間」の特徴をいろいろとあげました。大学生たちは、興味は示しても、どこか他人事のように聞いていました。
ところが、「この『世間』が流動化して、どこにでも現れるようになったのが、『空気』なんだよ」と言った途端、教室の空気が一変しました。
そう、これが筆者の「空気」の定義。このあと、さらに阿部先生の著作を引用しながら、「世間」の特徴を説明。

阿部先生の「世間」の解説がひとまず終わると、続いて、山本七平氏の『「空気」の研究』が登場。これも「世間」の研究には欠かせない著作。アッシは未読だけど。
『「空気」の研究』からいろいろな「空気」の事例を紹介して、筆者は、

「空気」の支配は、議論を拒否するのです。それが自分にとって都合がいいと思っていても、必ず、都合の悪い「空気」が支配的になる時が来ます。どんなに怒っていても、議論を放棄して「空気」の支配に身を任せてはまずいのです。
といい、これに対抗する方策として、山本氏の「水を差す」という方法を紹介しているよ。別名、「裸の王様作戦」。そう、王様は裸なのに誰も裸だと言い出せない空気を打破するには、まだ「世間」の一員でない子供が「王様は裸だ。」と水を差せばよいと。

後半は、筆者なりの現代の「世間」を語る。
筆者は、1980年代から、都市化と経済的・精神的にグローバル化したことで「世間」は中途半端に壊れ始めたといい、その理由として、日本の「世間」を支えていた会社の二つの原則、「終身雇用」と「年功序列」が、はっきりと不安定になったことを上げているよ。
ところが、その結果として、日本人は自分を支えてくれる「なにか」を、「世間」が安定していた時代よりもはるかに強く求めるようになったと。そこで登場するのが「空気」。不安定な「世間」が「空気」に化けたってわけ。「世間」の「共同体の匂い」を「空気」に感じているのだと。ここまで「世間」は根深いとは…。

ホントに「世間」については、いろいろと考えさせられることが多いよ。アッシの生き方を考えると無意識に「空気」に引っ張られていることが多いような。日本人だから、仕方がないって言ってしまえば、それまでだけど、「世間」が壊れ始めていることを知らないと、若い人たちとのコミュニケーションもぎこちないものになってしまうんだろうなぁ〜。考えすぎかなぁ〜?

「空気」と「世間」 (講談社現代新書)
「空気」と「世間」 (講談社現代新書)
講談社 2009-07-17
売り上げランキング : 23794

おすすめ平均 star
starここから、山本さんの著作に、
star「生きる指針」を与えてくれる本。
star「空気」に敏感になるということは

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

応援クリックはこちら→にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ