ぐれる!

『ぐれる!』を読んだよ。中島義道に興味を持って…。

ひょんなことから中島義道の名前を知り、いつかは読んでみたいと思っていたけど、ちょうどタイミングがいいところで、この本を手に。タイトルも何となく刺激的…。というか、タイトルからしてぐれているか。

さて、本書。「ぐれる」の定義から始まって、「ぐれる」理由をあれこれと考える。例えば、ぐれている子に対してかわいそうだと考える善人という人が出てくる。この善人の筆者の定義がユニーク。

善人とは、自分たちの価値観以外のものがこの世にあることを絶対にわかろうとしないアホな輩です。
と。だから、筆者はこのような善人には近付かないことを推奨しているよ。それによって、自分の「ぐれ」を純化させていくのがよいとか…。

で、「ぐれる」とはどういうことか。幾つか説明が出ているけれども、アッシには、

ぐれるとは、こうした世の風潮にまっこうから対立して、理不尽をいつも見つめて生きるということです。理不尽を一滴もごまかさずに、味わいつくすことです。
という言葉がピンときたよ。ここでいう「世の風潮」とは、「人生って絶望的に理不尽」なのに、まるでそんなことはないような顔をして生きることを差しているよ。そう、ほんとにどうして皆がそういう風にして生きられるのかなぁ〜。

そして、近代社会の特徴。あらゆる領域に正常値を極めて細かく限定してしまうこと。そうなると、自分が正常値なのかを気にし出し、異常値にならないように戦々恐々とする。
近代社会とは、みんなが正常値であることを渇望しながら異常へと転落していく、というホラー社会なのです。
ここから、ぐれることは、正常に対してピリピリする生き方をやめること、自分の中の「異常」をゆったりと受け入れることという定義が出てくるよ。

中盤はさまざまなぐれ方。

それにしても、世界中で何千万もの老人はもうじき死んでしまうのだから、死ぬ直前に自爆テロでも何でもできそうなのに、しないのはじつに不思議です。
と、筆者はぐれる老人がいないのを不思議がる。死に際くらいぐれなくてもいいような気がするけど。

最後は神さまにぐれる。だんだん哲学的になってくる。

自分自身の死と向き合わないすべてのあり方をハイデガーは「非本来的(uneigentlich)」と呼びます。これに対して、先駆的に決意して、みずからの死をごまかしなく見据えるあり方を「本来的(eigentlich)」と呼ぶのです。
そう、ここから導かれる結論は、「ぐれるとは本来的に生きる」ということだよね。やっと、哲学者らしい結論で、本書を読んでよかったなぁ〜と思える瞬間。ここに辿り着くまでが冗長的でイヤだったけど。

でも、やっぱり「ぐれる」って難しい…。あ〜。

ぐれる! (新潮新書)
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