大学はもう死んでいる?/苅谷剛彦,吉見俊哉

大学はもう死んでいる? トップユニバーシティーからの問題提起 (集英社新書)』を読んだよ。もう一度、大学とは何か。

副題は「トップユニバーシティーからの問題提起」。ここでのトップユニバーシティーとは、苅谷先生のオックスフォード大学と吉見先生の東京大学のことなんだと思う。ということで、本書はこの二人の先生の対談をまとめたもの。大学を取り巻くあれこれを話しているけれども、テーマは結局は「大学とは何か」に尽きると思う。

では、どのような対談になっているのか。まずは、ビジョンの話。

いずれにしても、さっき言ったように、大学は何を目指すのかという軸をちゃんと設定して、大学人が意識を変えるということが求められています。日本の大学人の間で、大学にとって最もクリティカルな問題は何かというところをゆるやかにでも合意形成しないと、ゴールを設定することもできません。
と苅谷先生。これが右往左往して社会、特に経済界に踊らされていく。その構図を変えていかない限り疲弊するだけだよね。

そして、「大学」と「ユニバーシティー」の違い。

要するに、ユニバーシティーで目指しているのは知識の伝達ではない。知識の伝達も必要ですが、与えた知識を通してどれだけアーギュメントできる人間を育てるかということがゴールなのであって、だから科目も少なくていいということになります。
あぁ、ここでもやっぱりゴール設定の問題。ゴール設定が違うから手法が異なっているんだよね。「大学」はあれもこれも教えなくちゃ…という議論が先行していないか?

もう一つは「グローバル人材」。

少なくとも、本当にグローバルに通用するような人は日本の国益に貢献する必要はなくて、人類に貢献すればいいんです。つまり、グローバル人材というのは人類に貢献する人たちの集団であって、貢献の宛先は日本のナショナリズムを超えていいのです。
と苅谷先生。うん、この視点はいいよね。日本のグローバル化の考え方の狭さが見えてくる。やっぱり、目先の利益に囚われた発想ではダメだな…。

「大学」が死んでいるとは思わないけど、生き生きと活動できる教育システムであってほしいよね。

大学はもう死んでいる? トップユニバーシティーからの問題提起 (集英社新書)
苅谷 剛彦, 吉見 俊哉
集英社 (2020-01-17)
売り上げランキング: 6,476

応援クリックはこちら→にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ

深海生物学への招待/長沼毅

深海生物学への招待 (幻冬舎文庫)』を読んだよ。光合成だけではなく。

辺境生物学者とかいうタイトルでNHKのTV番組「爆問学問」に登場したことのある筆者・長沼毅氏。番組では科学界のインディ・ジョーンズとか言われて、世界各地の辺境地を旅する姿が紹介されていたような…。
そんな長沼先生が辺境の地の一つである深海に生息する生物とその特徴を紹介するのが本書。特にチューブワームという深海底に生息する奇妙な生物がどのような生態なのかを明らかにするよ。

では、深海の生物を発見する意義はどんなところにあるのだろうか。

いや、熱水生態系の発見が有する本当の意義は、単に深海観を変えたことではなく、むしろ、われわれの生態観を変え、生命観を変え得ることだろう。それは、従来の「太陽に依存した生命」に対抗する新しい生命パラダイムを提唱することであり、地球生命の誕生と進化あるいは宇宙における生命の考察に新たな視座を与えることである。
要は、光合成による生命の糧の生産のパラダイム以外にも食物連鎖の軸があるということ。その代表が前述のチューブワームというわけ。だからこそ、チューブワームを研究する意義があるんだよね。

そして、生物の生態の話だけに留まらず、地球そのものの生態に発展していくよ。

世界最深の湖、シベリアのバイカル湖でも湖底にバクテリア・マットや生物コロニーが観察されており、湖底熱水活動が示唆されている。バイカル湖はもともと大陸の割れ目(地溝帯)の湖なので、海底の割れ目(リフト)に熱水活動があるように、バイカル湖に熱水活動があっても不思議ではない。
プレートテクトニクスだ。この地球の構造があるからこそ、生命誕生の基盤があるということだよね。

さらに話は宇宙に進展する。

地球以外の天体における熱水活動、それは地球以外の天体における生命の可能性を示すものである。今までわれわれは生命といえば太陽の恩恵の賜物と思ってきたが、宇宙規模で考えると太陽の恩恵とは無関係の生命のほうが実はふつうなのかもしれない。
これこそ、パラダイムシフト。普通と思っていたことは普通でないかもしれない。チューブワームのおかげかも。そう考えるとチューブワームが好きになりそうだね。

深海生物学への招待 (幻冬舎文庫)
長沼 毅
幻冬舎 (2013-08-01)
売り上げランキング: 368,141

応援クリックはこちら→にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ

キャッシュレス覇権戦争/岩田昭男

キャッシュレス覇権戦争 (NHK出版新書 574)』を読んだよ。電子マネーだけではなく。

いわゆるスマホ決済が普及し始めたのは去年。消費税増税に伴うキャッシュレス還元もその契機になったんだと思うけど、PayPayの還元大キャンペーンも普及に大きく貢献したのだと思う。自分自身も電子マネーは使っていたけど、QRコードは使っていなかったから。

そんなわけで、本書のテーマはキャッシュレス。2019年2月の発刊だから、今となってはちょっと古いという感じもするけれども、最新情報よりもそもそものキャッシュレスの狙いとか、キャッシュレス先進国である中国の事情とかが十分に参考になるよ。
では、その事情とは何か。

中国やインドでは、ATMが近くになく、現金を引き出すのが大変だという理由で、地方からQRコード決済が増えていったという。日本にも同じように、QRコードによるキャッシュレス化が、地方から一気に進んでいく可能性がある。
と筆者。この他にも、都会から来た観光客がキャッシュレスを求めていることなどもあるようだけど、どうなんだろ。未だに日本人の現金への信頼は大きいように思うし、キャッシュレス化への対応がどれだけ売上げに貢献するのだろうか。

そして、もう一方のキャッシュレスの狙いとは。ユーザの利便性はもちろんだけど、その代償としての個人情報の問題。それが、個人の信用情報となり、格付けされていく社会。

プラットフォーマーが国民を格付けし、その格付によって富める者と貧しい者が広がっていく信用格差社会の出現だ。
と。そう、それは既に始まっているんだよね。そして、キャッシュレスにせざるを得ない社会になっていくんだと思う。キャッシュレスとどう付き合っていくか、もう現金は持ちたくなくなってきているのは自分だけではないはず…。

キャッシュレス覇権戦争 (NHK出版新書 574)
岩田 昭男
NHK出版 (2019-02-12)
売り上げランキング: 119,586

応援クリックはこちら→にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ

新聞記者/望月衣塑子

新聞記者 (角川新書)』を読んだよ。権力との戦い。

映画『i-新聞記者ドキュメント』を観て初めて知った筆者。映画の冒頭では取材ターゲットに対して執拗に食い下がり、コメントを求めようとする筆者が映し出され、その迫力に圧倒される。本書はその筆者、望月衣塑子が自身の生い立ちから取材に対する考え方、そして、実際の取材をドキュメントとしてまとめたもの。

本書の冒頭は筆者の新聞記者になるまでのストーリー。官房長官の記者会見での質問で出る大きな声と度胸は、演劇で鍛えられたものだったのか…。
その記者会見について、

権力者に対して記者が質問をぶつけることは当たり前のことで、本来であればもてはやされるようなことではないが、今や権力にモノを言えないところまで来てしまった。ジャーナリズムとはかっこいい言葉だが、その限界値が見える気がした。
と筆者。権力とメディアのバランスが崩れていくということか。何を言っても、どこ吹く風は今でも変わらないような…。

そして、東京新聞中日新聞)に入社。記者として、千葉、横浜、埼玉のそれぞれの支局でバリバリと取材をし、内勤の整理部も経験。日歯連の不正献金事件から始まり、森友学園、さらには加計学園の問題まで鋭く切り込んでいく筆者。そして、見えない権力との対峙となっていく。怖いわ~。
そんな中で筆者の打開策は、

紙と電波、あるいは新聞と雑誌といった垣根を飛び越えて、メディアが横方向でつながっていくことが状況によっては必要なのではという考えは、安倍政権になってさらに強くなった。
ということ。メディアミックスとはInternetの時代になり、さらに加速しているように思えるけど。

最後に、

私は特別なことはしていない。権力者が隠したいと思うことを明るみに出す。そのために、情熱をもって取材相手にあたる。記者として持ち続けてきたテーマは変わらない。
と。基本姿勢を貫く姿は素敵です。

新聞記者 (角川新書)
新聞記者 (角川新書)
posted with amachazl at 2020.03.20
望月 衣塑子
KADOKAWA (2017-10-12)
売り上げランキング: 969

応援クリックはこちら→にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ

高大接続改革/山内太地

高大接続改革: 変わる入試と教育システム (ちくま新書1212)』を読んだよ。どちらかというと教育システムの話。

少し前に2021年度からの大学入学共通テストのやり方が急遽変更になったりとかでメディアに取り上げられていたけれども、その構想が発表されたのが2016年。これは、本書のタイトルにあるように「高大接続改革」の一貫であると言われているけど、そもそも「高大接続改革」って何?という感じで分かり難い。受験生やその親に取っては、「入試の方法が変わる!!」ということが最も関心があるところなんだろうけど、そもそもの背景とか意図があるはず。それを解説したのが本書。2016年秋の発刊なので、大学入学共通テストが発表された当時の状況であり、こんなに混乱することは想定外だったろうけど。

では、そのポイントは何か。ひとことで言ってしまうと「受動的な教育から、能動的な学習へ」ということ。能動的な学習の代表格がアクティブ・ラーニングと言われるもの。但し、この改革は人の意識が変わらないから難関。教わる側も教える側も。さらには親も企業も。何十年と継続したシステムは染み付いてしまっているんだよね。

でも、少しでも改革を進めるためにということで、共著者の本間氏曰く、

私は、社会人としての成功の鍵は「最終学歴」ではなく、「最終学習歴の更新」にあると考えています。
そう、生涯学び続ける力とか言われているし、その為のアクティブ・ラーニングであり、学修ポートフォリオでもあるんだろうね。

後半は能動的な学習を実践している高校や大学の事例。やっぱり、大学より高校の方が進んでいるという印象。

最後に、この改革に対する筆者の評価。

「他人にどう見られるか」が自分の評価を決めるのではなく、「自分がどう生きるか」こそが重要。今回の教育改革が、多くの受動的な、他人からの評価で生きる日本人のメンタルを変えていけるのなら、私は前向きに評価したいと思います。
と。いや、時間は掛かると思うし、根っこの部分では残るかもしれない。でも、そういう考え方があるんだよという意識に残ることがよい方向に進むんだろうね。

応援クリックはこちら→にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ

ロング・グッドバイ/レイモンド・チャンドラー

ロング・グッドバイ(ハヤカワ・ミステリ文庫)』を読んだよ。これがハードボイルドか…。

Kindle本として購入して、しばらく積読状態で放置されていた本書。なにしろ文庫版で645頁もの大著だから、読み始めるまでに勇気がいる。ある意味、意を決してダウンロードしたのは確か。それでも、紙の本だったらそもそも読んでいなかったかも。

主人公はフィリップ・マーロウという名の私立探偵。 テリー・レノックスという人物とひょんなことから友人になり、レノックスが関連する事件に、マーロウが巻き込まれていく。但し、巻き込まれていくという表現は正確には正しくなく、マーロウ自身が気になるから、事件を追っていったんだろうね。だから、マーロウは事件に関連するある人物に向かって、

君は収まりの悪いほつれなんだ。
と言う。そう、マーロウはほつれを繕いたくなる性格なんだろうね。

そして、ハードボイルド。所々にその要素を含んでいるんだけど、マーロウの行動がその一端を表す。

細部をおろそかにしない男、マーロウ。なにをもってしても、彼のコーヒー作りの手順を乱すことはできない。拳銃を手に目を血走らせた男をもってしても。
とか。あとはアルコール。いつでもどこでもアルコールが出て来る。飲んだ後でも運転するし。あぁ、ハードボイルド…。

最後に、訳者あとがきから。

チャンドラーの小説を読む醍醐味のひとつは、そういった「寄り道エピソード」の持っていきかたのうまさを味わうことにあると言ってもいいだろう。
そう、本筋と関係のない寄り道が多いのは確か。ハードボイルドだからといえばそれまでだけど、推理小説として読んだら、冗長とも言えるかも。でも、頑張って読みました~。

応援クリックはこちら→にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ

そして誰もいなくなった/アガサ・クリスティー

そして誰もいなくなった (クリスティー文庫)』を読んだよ。ポアロは登場せず。

アガサ・クリスティの著作の中では、『オリエント急行の殺人』か本書かと思われるほどに有名な本書。とは言え、自分的にはストーリーも犯人も知らないという純粋な状態でこの物語を読むことができたのは運がいいのかも。『オリエント急行の殺人』では、犯人があまりにも有名だからね。

ストーリーはタイトルそのまんま。10人の人々が次々と死亡していき、最後の一人も死んでしまう。二人目までくらいまでは、単なる事故だろうと納得できる状況だけど、残り5人を切っていくと、生き残った人間同士が疑心暗鬼になってくる。この中に犯人がいると思うと、それはそうならざるをえないだろうね。

そして、ポアロも登場せず。謎解きがされずに全員が死亡してしまうというのもストーリー的には面白い。最後の謎解きは真犯人の書き残した手紙で行われる。動機がちょっと弱いかなという気もするけど、それよりも謎解きとか早い展開でのスリルとかを楽しんだほうがいいかな。

そして、兵隊さんの人形とそれを歌う童謡。

「そりゃあ、偶然なんかじゃない! あれは犯人がつけたした、ちょいとした小道具だ! やつはいたずらが好きなんだ。あのふざけた童謡と、なるべく同じにしようとしている!」
そう、童謡と同じように殺人が行われていくって、どこかで聞いたことがあるような。これって、『悪魔の手毬唄 (角川文庫)』?そっか、横溝正史も本書をヒントにしたか!

応援クリックはこちら→にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ