金鯱の夢/清水義範

金鯱の夢 (集英社文庫)』を読んだよ。名古屋弁が頭から抜けない…。

清水センセーといえばパスティーシュだけど、今回は歴史そのものをパスティーシュした面白小説って感じ。別の言い方をすれば、if小説。
もしも豊臣秀吉の正妻寧々に子供がいて、秀吉亡き後、その子供が天下を取ったらという仮定の話。もちろん、幕府は豊臣幕府。日本の中心は名古屋。名古屋幕府ともいう。標準語は名古屋弁。江戸時代や幕末の人物がたくさん登場。名前は少しずつ変えているけど、誰のことかすぐに分かる。「燃えよドラゴンズ」ならぬ、「燃えよ、竜ども」とか出てくるし。

あとがきにもあるように、「これは汚名返上の小説である」と。何の汚名かと言うと、名古屋が田舎であるという汚名のこと。だから、名古屋をとにかく持ち上げる。

まずは、忍者としての松尾芭蕉が登場。俳句はあくまで忍者の旅としての副産物。で、有名な「おくのほそ道」の冒頭は当時の標準語で書かれたといい、

月日は百代の過客だいうとーり、行きかう年もおんなし旅人だがや。舟の上で一生過ごいとる人間や、馬の口とらえて年喰ってくおやっさんは、年中旅して、旅ん中で生きとらっせるようなもんだわな。昔の人もようけ旅ん中で死んどらっせるがや。
となる。さらに、俳句。
古池やきゃーる飛び込む水の音
となり、「かえる飛び込む」とか「かわず飛び込む」だったりしたら、侘びもさびもあったもではない…とまで。

そして、名古屋の武士が乗る馬には、加路羅(かろら)とか聖理加(せりか)、はたまた素亜羅(そあら)、倉運(くらうん)という名前まで登場させ、名古屋色を強める。

名古屋人の気質についても、あちこちに登場。

剥き出しの本性のまま、どっぷりと、慣れあいの人間関係の中につかって、本音を、丸出しにして生きる。それが名古屋人だったのである。
とか、
「むつかしいことを考えでもえーで、その時その時えーように勘考してきゃええがや。はは。それが名古屋人の人間の考え方なんだわ」
と登場人物に言わせてみたり、
名古屋人は本来、型とか伝統よりも、実質を重んじる気風を持っている。格好つけとるより、どっちが得かをよー考えないかんがや、と思考するのである。
など。現代の名古屋人がこうであるとは言っていないけど、多分にそういう傾向があるのかも。

名古屋時代の最後は明治維新。最終章は「一般用」と「愛知県人用」と二本立て。「一般用」は名古屋時代が終わり、極々普通の日本史に近いもの。つまりは、名古屋は田舎のひとつに成り下がる。「愛知県人用」は明治維新があっても日本の中心は名古屋。ますます盛んになるわけで、ここでも名古屋人の気質について、

とにかく、名古屋の武士の多くは、あっさりと時代の変化を受け入れた。それは日本という国の変り身の早さ、でもあり、同時に、名古屋という実利的な合理精神の町の特徴でもあっただろう。名古屋人は常に、カッコよりも実利をとるのである。
と書かれているよ。変り身の早さは日本人の特徴であるけれども、この理屈だと、やっぱり日本人はイコール名古屋人なのかなんて思えてくる。

もう、頭の中が名古屋弁だらけ。いつでも、名古屋弁が話せそう。名古屋弁で話す相手がいれば、試してみたくなるような。
それにしても、清水センセーは歴史も詳しいよね。江戸時代の多種多様な登場人物をぎょーさん取り上げて、ここまでパスティーシュしてしまう実力はさすがだがね〜。あら、いつのまにアッシまで名古屋弁

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