夢をかなえるゾウ3/水野敬也

夢をかなえるゾウ3 文庫版』を読んだよ。神様、いろいろ。

ガネーシャシリーズもいつの間にか第3弾。文庫版が出るのを待っていて、ようやく出たので図書館に素早く予約。やっぱり、人気だよね。あっという間に予約多数になったから。

さて、今回はブラックガネーシャ。どうしてブラックかというと、「夢をかなえるためになさなければいけない課題」がよりブラックだから…。いや、あのガネーシャならば、このレベルの課題は出してもおかしくないな…という感じではあったけど。まぁ、ガネーシャ本人がブラックだと言うのだから。

で、ガネーシャは相変わらず、自信満々。カーネル・サンダースエジソンとの逸話を披露し、その流れで、

ムンクくん叫ばせたんも、ワシやで」
と、極めつけの一言。初対面でこんなセリフを吐かれたら、もう一撃を喰らったも同然だよね。

あとは、自分が気に入ったガネーシャの教えを幾つかピックアップ。

「確かに、稲荷様にご利益がある雰囲気は必要かもしれへん。せやけど自分のその考えが間違うてて、むしろワシらが作った像の方にヒントがあるかもしれへんやろ」
と言い、自分の考えを疑ってみることも必要だと。これは多面的に物事を考えるのに必要だよね。自信過剰にならないためにも。

さらに、

「自分らは努力を始めるとき、『我慢』から入るやろ。<中略>…でもな、自分の行動をコントロールするために必要なんは、楽しいことを我慢するやのうて、『もっと楽しいことを想像すること』やねん」
ガネーシャ。ストーリーシンギングによる完全なポジティブ思考だね。これも自分好みの思考法。

今回も新たな神様が登場し、神様対決も楽しかったし、なにより発想法の勉強にもなりました~。

夢をかなえるゾウ3 文庫版
水野敬也
飛鳥新社 (2019-04-26)
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大学大倒産時代/木村誠

大学大倒産時代 都会で消える大学、地方で伸びる大学 (朝日新書)』を読んだよ。もがき続けるだけ。

大学冬の時代と言われてから、もう何年経つだろうか。その要因は18歳人口の減少にあったわけだけど、そのピークが既に過ぎ、マーケットが縮小しつつあるんだけど、そこからさらに課題が出てくる。それはその縮小率が都会と地方で差異があること。それが地方創生と相まって、話がややこしくなってくる。

と、そんな社会情勢の中で、大学がどうもがき続けているかについて、事例をひたすら並べたのが本書。国立大学、公立大学、私立大学はそれぞれ事情は異なるし、前述の都会か地方かでもまた違ってくる。

各大学が気にするのは大学ランキングという代物。世界的なものから、国内限定まで、各種のランキングが公表されているけれども、その評価の難しさについて、

いかにその大学の教育研究活動を評価するのが難しいかを認識したうえで、大学世界ラインキングを見るのが良いかもしれない。大学を評価するには様々な視点があり、入試偏差値と就職率だけではないことを学ぶ良い機会であることに間違いはない。
と筆者。そう、企業のように単に売上とか株価とかだけではなく、その評価が多面的であるからね。

そして、都会と地方の差異。都会は定員増を認めないなどの政策は話題になっているけれども、それに対する地方大学の生き残り策は、こぞって「地域連携」。

最近のCOC+(「地(知)の拠点大学による地方創生推進事業)は、<中略>大学卒業後の若者の雇用創出など、地方における若者の定着を進めようという意図がはっきりしている。
ということ。「地」と「知」なんて、洒落まで出るには驚くけど、逆に意図が分かりやすいかな。

最後に女子大の動き。一時は「女子大不要論」が唱えられたりしたけど、復活の兆しとも。それはキャリア教育だとか。確かに、労働市場における女性の活用は話題になっているよね。

やっぱり、大学の社会的意義は大きいなぁ。象牙の塔では有り得ないわ。

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NDC(9) : 377.21

データを紡いで社会につなぐ デジタルアーカイブのつくり方/渡邉英徳

データを紡いで社会につなぐ デジタルアーカイブのつくり方 (講談社現代新書)』を読んだよ。「情報アーキテクト」という仕事。

地図が好き。GoogleマップGoogleアースが出た時に、これは楽しいことに使えそうだなと思っていたけど、具体的には思いつかず。せいぜい、昔の写真を日付と場所で整理し、旅行日記的に使えるかなと考えていたくらい。でも、まさに本書に書かれていることがまさにそれ。もちろん、個人的な記録ではなく、もっと組織的、社会的な「作品」になっているんだけど。

まずは、データの視点から。数年前から「オープンデータ」という潮流が流れ始めているけれども、社会はすぐにビジネスチャンスとして目を向けがち。これに対し、

オープンデータ、オープンデータとお題目を唱えていてもダメです。具体的なゴールを示し、人々にオープンデータ化の意義を理解してもらうことが先決です。そのことによってはじめて社会が動きます。ビジネスチャンスはその後で自然に生まれてくるのではないでしょうか。
と筆者。そう、オープンデータは進めるべしだと思うけど、何のため?どう使うの?と具体例が多くあるといいよね。そんな事例が徐々に増えつつあるようには思えるのは嬉しいこと。「あっ、これは面白い」とワクワク感があるし。

そして、オープンデータやビッグデータGoogleアースにつなぐ。筆者は、

こうしたグーグルアースによる空間体験に、さらにユーザ独自のXMLデータを重ねあわせることによって、リアルな実感をともなったコンテンツを実現できるのです。
と言い、「仮想世界と実世界をつなぐ」ソフトウェアであると評価しているよ。そう、実際に筆者が携わった幾つかのプロジェクトを見れば、まさにそれが感じられるはず。

最後に、それらのプロジェクトを総括的に考えると、

多元的な資料を、公平な時空間メタデータにしたがって、グーグルアースというもうひとつの地球=「どこでもない場所」に保管する。このことによって、すべての資料に対して特定の重み付けをせず、ユーザに自由な解釈を許すかたちで提示できるのではないか。最近の僕はそんなことを考えています。
と筆者。そう、恣意的ではない資料として、有効活用できるよね。誰でも自由にどんな解釈でも。まさにオープンデータを超えたオープンサイエンスとして捉えていいかもしれないね。

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挑戦する公共図書館/長塚隆

挑戦する公共図書館: デジタル化が加速する世界の図書館とこれからの日本 (図書館サポートフォーラムシリーズ)』を読んだよ。公共図書館あれこれ。

図書館サポートフォーラムシリーズの一冊。副題が「デジタル化が加速する世界の図書館とこれからの日本」ということで、アジアを中心に世界各地で様々な新しい取り組みを行っている図書館をテーマ別に紹介する本。一応、テーマ別にはなっているけど、図書館の取り組みは多岐に渡り、同じ図書館が何度も登場することもあったり、どの図書館も同じようなことをやっていたり。

では、どんな取り組みがトレンドなのだろうか。
ひとつは、メーカースペース。日本ではファブラボとかいう表現をすることがあるけど、要は「ものづくりの場」。3Dスキャナ、3Dプリンタ、電子ミシン、電子工作機器、動画や音楽編集、はたまた教育用ロボットの貸出とかも。ありとあらゆるものづくりツールがそれぞれの地域や国の特徴を活かして、提供されている感じ。

さらには、デジタル化の進展。
電子書籍、電子ジャーナルはもちろん、新聞の閲覧とか、古典籍までデジタル化して提供する図書館が増えている。資料だけではなく、サービスのIT化も進み、貸出・返却も自動化され、それによる24間開館する図書館とかも登場しているよ。

あとは、地域のコミュニティの場としての図書館も。例えば、屋上に圃場が整備されているとか。こりゃ、驚くわ…。

もっと衝撃的な事例は移動図書館。移動のための手段のひとつが「ゾウ」。応援したくなるよね。やるな~、図書館!頑張れ、図書館!

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ブレイクスルーの科学者たち/竹内薫

ブレイクスルーの科学者たち (PHP新書)』を読んだよ。異分野をつなぐ力。

たまには理系本を読まないと…と思ったのかどうかは不明だけど、ずっと読みたい本リストに積まれていた本書。著者の竹内薫氏は多作なので、読んでも読んでも追いつく気配なし。それでも、手軽に読める理系本だから、ついつい手に取ってしまうんだよね。そんな1冊の本書は、2010年の発刊ですでに9年も経っており、内容がかなり古くなっている点は否めず。いや、それだけ科学の世界の進歩が早いということなんだよね。

ブレイクスルーの原動力とは何だろうかという観点で、それぞれの科学者の成果を見ていくわけだけど、そこに通底する概念は「異分野をつなぐ力」。ほとんどの科学者は異分野の概念を取り入れたり、ヒントにしたり、融合させてみたり。

では、どんな科学者達が登場するのか。
冒頭は、ノーベル賞を受賞する前の山中伸弥氏。もっとも、ノーベル賞に一番近い科学者として紹介されているけれども。ここでの「異分野をつなぐ力」はコンピュータ。

そもそもコンピュータのプログラミングに明るくなければ、計算によって数万の因子をたった四つに絞ろうなどとは考えない。異分野をつなぐ力は、発想の幅を広げ、誰も気づかない可能性を見せてくれる。
ということ。確かに、遺伝子とコンピュータって相性は良さそうだよね。

さらに、粘菌研究の中垣俊之氏。

だが、中垣の研究には、実際に生きている粘菌のほかに、数学という方法論が欠かせない。生物学と数学をつなぐことにより、われわれは、粘菌の「知性」を自動車道路や鉄道のネットワークに活かして応用することができる。これは、一つの分野に特化していては、決してできないことなのだ。
と生物学と数学をつなぐ。数学は考え方の基盤でもあるってことなんだよね。

紹介の最後は、火山研究の田中宏幸氏。素粒子物理学と地球物理学をつなぐ。そして、「異分野をつなぐ力」とは、

異分野をつなぐ力は、1+1を2以上にする力だ。通常よりも長い修業期間を必要とするが、複数の分野をマスターした暁には、倍以上の威力を発揮することが可能になる。その意味で、若いころに複数の専門分野をきわめることは、将来のブレイクスルーの確率を飛躍的に高めるに違いない。
と筆者。うん、自分もそう思う。ただ、「経験する」ではなく、「きわめる」ことが重要だろうね。のんべんだらりではなく、課題意識を持って。
そうか、まだ遅くはない。今までの経験を組み合わせてみよう。

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ビジョナリー・カンパニー 時代を超える生存の原則/ジム・コリンズ

ビジョナリー・カンパニー 時代を超える生存の原則』を読んだよ。カンパニー以外にも使える。

ビジネス書の王道と思われる本書。本書の中でもドラッカーの著作との違いの記述があったけど、どちらも基本中の基本なのだろうと思う。ただ、ドラッカーとの違いは本書は調査をベースとして分析結果の報告であること。
それを筆者は、

わたしたちは六年間の調査プロジェクトで、ビジョナリー・カンパニーを選び出し、その軌跡を体系的に調べ、慎重に選び出した比較対象企業と、どう違うのかをくわしく検討し、こうした企業が長年にわたって卓越した地位にある理由を明らかにしようと試みた。この本は、この調査プロジェクトの結果と、それが持つ実践的な意味をまとめたものである。
と言っているよ。

さて、そもそものビジョナリー・カンパニーとはどのような企業か。何度も出てくる比喩が「正確な時を告げることではなく、正確な時を告げる時計を作ること」ということ。例えば、製造業でいえば、

製品を設計する仕事から、すばらしい製品を次々に生み出せる組織を設計する仕事、つまり、環境をつくる仕事にすばやく方向転換した。
ということ。そのために、創業者がやるべきことは、
こうした創業者にとってもっとも大切なのは、会社を築くこと、つまり、時を刻む時計をつくることであり、ビジョンのある商品アイデアで大ヒットを飛ばしたり、魅力ある商品のライフ・サイクルの成長カーブに乗って飛躍することではない。
ということになる。とは言え、本書に紹介されているビジョナリー・カンパニーがその意図で会社を動かしていったかというとそうではなく、単に企業の理念としてそうだったというわけなんだけど。

そして、その理念も重要。

一言でいえば、ビジョナリー・カンパニーの理念に不可欠な要素はない。わたしたちの調査結果によれば、理念が本物であり、企業がどこまで理念を貫き通しているかの方が、理念の内容よりも重要である。
となり、内容よりも一貫性。そして、貫き通すということ。どのビジョナリー・カンパニーもブレないっていうのは凄いわ。その為は、カルト的であったり、ストイックであったり…。

そう、小さな組織でも、組織の一部であっても、ビジョナリー・カンパニーになれる!ということが分かったのが、本書の一番の収穫だね。

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学校の「当たり前」をやめた。/工藤勇一

学校の「当たり前」をやめた。 ― 生徒も教師も変わる! 公立名門中学校長の改革 ―』を読んだよ。やめてみたいこと、たくさん。

著者は千代田区麹町中学校校長の工藤勇一氏。さまざまな学校改革に取り組んで、今ギョーカイでは注目の人物。本屋に行くと、本書が目立つ棚に置いてあることが多いし。その工藤氏が麹町中学校で取り組んだ事例を中心に学校改革の内容をまとめたもの。麹町中学校に移る以前の話もあり、ここに至る経緯もよく理解できるよ。

では、どんな取り組みが行われてきたのか。それが、「服装頭髪指導を行わない」「宿題を出さない」「中間・期末テストの全廃」「固定担任制度の廃止」など。特に宿題とテスト期間については、思いっきり「当たり前」として行われてきたもの。それをやめたというから、これは大きな改革としか言いようがない。

当然に、単にやめることが目的ではなく、ある大方針に則って考え、決めたこと。その方針とは、

学校は子どもたちが、「社会の中でよりよく生きていくようにする」ためにあると私は考えます。
ということ。この学校の目的を実現するために何をしたらいいのかを考えた結果の改革なんだよね。

「何をしたらいいのか」は手段ということ。工藤氏は「目的と手段を取り違えない」と主張する。手段の目的化ってありがち。宿題や定期テストは単なる手段。手段を実行するために、教員も生徒も汲々となっているという事実に目を向ければ、当然の改革なんだよね。

もう一つの主張は「上位目標を忘れない」ということ。麹町中学校の最上位目標は、

すべての子どもたちが「世の中ってまんざらでもない!大人って結構素敵だ!」と思える学校
ということ。内容もいいけど、この最上位目標が設定される意義は大きいよね。教員もPTAも生徒も、何かの課題に取り組む際に、この目標を忘れずに、検討すればいいのだから。

振り返って、我が社の最上位目標はなんだろ…。

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