楽隊のうさぎ/中沢けい

楽隊のうさぎ (新潮文庫)』を読んだよ。今の自分にもうさぎが欲しい。

新潮文庫編集部が毎年出している「中学生に読んでほしい30冊」シリーズ。ということで、夏休みはこの中から1冊ということで本書。

主人公は、奥田克久という中学生。中学に入学してから吹奏楽部に入部し、打楽器パートを担当することになる。まずは同級生で同じパートの部員との関係。そして、同じパートの上級生との関係から、人間関係が築かれていく。その間にも小学校が同じだった同級生との関係、両親との関係の中で、いろいろな経験を積みながら、成長していく。

2年生になると、打楽器パートでも重要な役割を担うようになり、下級生、上級生、さらに卒業した先輩たち、先生との関係も絡んでくる。そして、気になる女子も。

少しだけ、克久の成長の過程を追ってみる。
1年生の最初は、ひたすら机を叩くだけの練習。単調ではあるけれども、音の粒が揃うと気持ちがいいことを知る。

音の粒が揃うと、身体の血の巡りが良くなる。克久は心臓が微笑するような感覚がそこにあるのを発見した。
と。

そして、本番での大会では、

そこにあるものは、目に見えるものではなかった。が、克久は全身で、そこに確かにある偉大なものに参与していた。入るとか加わるとか、そういう平たい言葉では言い表せない敬虔なものであった。感情というようなちっぽけなものではなくて、人間の知恵そのものの中に、自分が存在させられていた。それが参与ということだ。
という「参与」という感覚に気がつく。

最後は、

幸福がそこに立っているという輝かしさだ。
に辿り着く。中学生がこういう経験をすることが貴重だよね。でも、実体としての中学生はただただ夢中なのかもしれない。小説だから、この体験が後付けで概念化されるんだろうね。あぁ、疑似中学生になった感じ。
楽隊のうさぎ (新潮文庫)
楽隊のうさぎ (新潮文庫)中沢 けい

新潮社 2002-12-25
売り上げランキング : 116222


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

応援クリックはこちら→にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ

「粗にして野だが卑ではない」石田禮助の生涯/城山三郎

「粗にして野だが卑ではない」石田禮助の生涯 (文春文庫)』を読んだよ。実業家という言葉がピッタリ。

三井物産代表取締役社長を経て、国鉄総裁を歴任した石田禮助氏の半生記。1886年明治19年)に伊豆の松崎町に生まれ、一橋大学を卒業後、三井物産に入社。三井物産では主に海外の支店での勤務を長く努め、その後に取締役から代表取締役社長に就任する。この海外での経験は大きかったようだよね。石田氏の言葉には、英単語が多いのはこのため。マンキーとか、エンジョイとか、ルー大柴の走りか?って感じもするけど…。

国鉄総裁就任後、初めての国会での運輸委員会に出席したときのこと。いきなり、議員たちの向かって「諸君」と呼びかける。周りが慌てるのも無理はないこと。さらには、

「生来、粗にして野だが卑ではないつもり。ていねいな言葉を使おうと思っても、生まれつきでできない。無理に使うと、マンキーが裃を着たような、おかしなことになる。無礼なことがあれば、よろしくお許しねがいたい」
と挨拶。無礼と思われても致し方ない感じだけど、これが石田氏の素直な表現。そして、本書のタイトルにある「粗にして野だが卑ではない」が登場する。そう、嘘はつきませんと言っているんだよね。
同委員会での別の発言について、筆者の解説は、
「諸君にも責任がある」との国会での発言は、同志として本当のことを言ったまで。一緒になって改めるべきは改めようと、訴えたつもりであった。
ということ。うん、ストレートな表現。忖度なんて存在しないよね。

国鉄総裁を引き受けた理由として、海外での経験もあったような。

政府にたのまれたり、社会事業に手を貸したり。公職として給与が出ても、形式的に一ドル受けとるだけ。「ワンダラー・マン」と呼ばれるそういう男たちが居ることが、石田には強い印象になって残った。
そう、石田氏としては国鉄総裁の仕事は「パブリック・サービス」として捉えていたんだろうね。
石田氏のような筋道の鮮やかな生き方、いいよね。
「粗にして野だが卑ではない」石田禮助の生涯 (文春文庫)
「粗にして野だが卑ではない」石田禮助の生涯 (文春文庫)城山 三郎

文藝春秋 1992-06-10
売り上げランキング : 17065


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

応援クリックはこちら→にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ

時刻表2万キロ/宮脇俊三

時刻表2万キロ (河出文庫)』を読んだよ。時刻表は楽しい!!

中学の時にハマった時刻表。専ら眺めるだけだったけど、関連本から知った東海道本線の大垣行き夜行鈍行にはよく乗ったっけ。今は「ムーンライトながら」だったっけかな?その流れでよく読んでいたのが、今回の宮脇俊三氏の著作群。だから、再読ってことになる。

で、本書は宮脇氏のデビュー作。作家専属になる前だから、某出版社の編集者の仕事の傍らで、全国国鉄を乗りまくり、全線完乗することになる記録の本。とは言え、当時の国鉄は約20,800kmも路線があったから、それを記録にするとなると膨大な分量になる。宮脇氏自身も全線に乗ろうなどと考えて乗っていたわけではなく、90%を乗ったあたりで、全線を意識し始める。そして、その目的のために乗り始めたのが昭和50年9月。そして、全線完乗したのが、昭和52年5月。その2年間の記録が本書っていうわけ。

その記録って簡単に言ってしまったけれども、それは闘いだと思う。実際に筆者は、

国鉄全線完乗はあなたが考えるほど簡単なことではないのである、あなたはよく大阪へ行かれるが尼崎港という国鉄の駅があることを知っているか、そこへの線には一日二本しか列車が走っていない、自分もまだ乗っていないが、などと説明や弁明をしていると、だんだん自己主張のごとくなってくる。
と周囲の人々への説明には苦慮している(理解してもらえないという諦めの境地もあるような…)し、
私だって東京や自分の家にいるのがいやで出歩いているわけではないし、日曜日ぐらいは家でゆっくりしたい。
という泣き言や、
そこまでゆくとあまりかけはなれて随いてゆけないけれど、趣味昂進の極限を垣間見る思いがして粛然とさせるものがある。私のやっていることも相当な阿呆と自覚しているけれど、上はあるものだ。
という趣味の世界の奥深さまで語る。

いや、いささか否定的なことを書いてしまったかもしれないけど、これが本になり、何十年も経っても、こうやって読まれ続けるということは、それだけの楽しみというか評価があってのことなんだよね。自分だって、お金と時間があれば、挑戦しているかもしれないからね。

時刻表2万キロ (河出文庫)
時刻表2万キロ (河出文庫)宮脇俊三

河出書房新社 1980-06-04
売り上げランキング : 67319


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

応援クリックはこちら→にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ

これからの世界をつくる仲間たちへ/落合陽一

これからの世界をつくる仲間たちへ』を読んだよ。何がどこまで変わるかは分からない。

前作『魔法の世紀』ではわけわからん状態だった落合陽一氏。それでも、読んでみたいという気にさせるのは、自分自身がまだまだ知りたいという欲求があるんだろうと思う。どうして、21世紀が魔法の世紀なのかということについて。

そういう欲求が強かったんだろうと思う。もっと分かりやすく、しかもこの21世紀を支えていく若い人たちに対してのメッセージを…という感覚で本書は書かれたのだろうと思う。『魔法の世紀』より、格段に分かりやすい論調だったから。

本書の内容をひと言で言ってしまうと、帯に書いてある「戦いのルールは、変わり始めている。」がテーマかな。コンピュータ、インターネットが世界を変えているのは事実だけど、人の営みまで変えるのは時間が掛かる。その営みが変わってきているのが21世紀なんだよね。

だからこそ、「魔法をかけられる側」ではなく、「魔法をかける側」で生きることが必要なのだと、筆者。それこそが、暗黙知を持つクリエイティブ・クラスという人たち。

暗黙知を持つクリエイティブ・クラスにとって人工知能環境は、自らの欠点や他人で代替可能なタスクを行ってくれる第二の頭脳であり、身体です。彼らには人工知能は自らの存在を脅かす敵ではなく、自分のことをよく知っている「親友」となるはずです。
ということ。そう、単なるホワイトカラーは、自らの存在を脅かされることになるからね。

そして、クリエイティブ・クラスは専門性には拘る。

何より「専門性」は重要です。小さなことでもいいから、「自分にしかできないこと」は、その人材を欲するに十分な理由だからです。専門性を高めていけば、「魔法を使う側」になることができるはずです。
と筆者。これも単なるホワイトカラーではダメな理由になるよね。ブルーカラーが「魔法を使う側」ということもできるはず。少しでもそこに近づいていきたいなぁ〜。
これからの世界をつくる仲間たちへ
これからの世界をつくる仲間たちへ落合 陽一

小学館 2016-03-28
売り上げランキング : 1170


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

応援クリックはこちら→にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ

未来を変えた島の学校/山内道雄,岩本悠,田中輝美

未来を変えた島の学校――隠岐島前発 ふるさと再興への挑戦』を読んだよ。やっぱり教育…。

隠岐島前高校で取り組んだ同校の魅力化プロジェクトについて、紹介した本。ここでは、「存続」ではなく、あくまで「魅力化」という点がポイント。そう、「存続」というと小手先の手段に走ってしまうし、日本のあちこちで同じことが行われているけれども、決定打が出ていないのが実情。だから、魅力があれば、存続は自動的についてくるということ。だから、このプロジェクトの正式名称は「隠岐島前高等学校の魅力化と永遠の発展の会」。持続可能性の意味も込められているよね。

勿論、様々な障害はある。例えば、施設・設備や教員等のリソースの問題。これは、

学校内になくても、地域にはもっといい施設や設備はたくさんあるし、本物の現場で経験を積んできたプロもたくさんいる。島前地域唯一の高校なのだから、島前地域全体をキャンパスと考え、学校外の人たちにも“先生”になってもらえばよい。
という考え方でクリアする。これはまさに最近の学校の地域連携の考え方。地域が育てて人材が地域に貢献する人材になる。それが持続可能性に繋がっていくわけだよね。

そして、「観光甲子園」に挑戦する。テーマは「ヒトツナギ」。これを契機に、学習センターの設立や島外出身者の積極的な受け入れなど、取り組みを広げていく。その成果は本書を読んでいただくとして。

最後にこのプロジェクトの中心人物があとがきで語ること。

だからこそ、こうした人の魅力を次の世代につないでいく「魅力ある人づくり」こそが、魅力ある地域づくりの真髄だと確信できた。
うん、これは学校の魅力化とは何かの真髄だよね。それは社会の中の学校の役割としても。隠岐島前高校の今を知りたくなってきたなぁ〜。
未来を変えた島の学校――隠岐島前発 ふるさと再興への挑戦
未来を変えた島の学校――隠岐島前発 ふるさと再興への挑戦山内 道雄 岩本 悠 田中 輝美

岩波書店 2015-03-25
売り上げランキング : 44704


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

応援クリックはこちら→にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ

新幹線事故/柳田邦男

新幹線事故 (1977年) (中公新書)』を読んだよ。この歴史の上に、今の新幹線有り。

柳田邦男氏の交通機関の事故シリーズの1冊。柳田氏のこの手の本は航空機ものが多いけど、今回は鉄道。と言っても新幹線なので、そのシステムは航空機ほど複雑ではないけれども、大規模なシステムに運行が支えられているのは変わらないわけで、やはり事故の原因と背景を掴み、その根本的な対策を図ることは重要だよね。

本書で検証されるのは鳥飼車両基地、品川車両基地新大阪駅構内で発生した3件の新幹線による事故。その全てがATC絡み。これほど完全なシステムはないと当時の国鉄が自信を持っていただけに、これらの事故はかなりのショックだったみたい。でも、異常事態の発生は事実であり、それぞれにそれなりの原因があるわけ。

事故調査とは何かという観点では、

事故を調査し、安全を考えるということは、例えば落ちた橋を架け直せばよいというようなものではない。なぜ橋が落ちたのか、その原因となったいくつもの要因の、システム全体の中での位置づけを浮き彫りにし、なぜ「絶対安全」と考えられていたシステムの中に、事故の「落とし穴」があったのかを、普遍的な教訓として導き出さない限り、システム全体の安全への道を切り開くことはできない。
と筆者。そう、巨大システムには膨大なファクターがあり、あるファクターを改修しても、それにより別のファクターに影響を及ぼすことも多くあるよね。特にヒューマンファクターへの影響が大かな。

そして、そのヒューマンファクターについては、

安全にかかわる基本的な部分については、人間がいつでも取って代われるだけの対応力(知識、判断力、処理技術)を保持するような教育訓練体系を整えることが、最低限必要な条件ではないか。機械と人間との間に境界線を引くのではなく、相互に重複させ、人間の主体的能力の退化を防ぐ道を考えることこそ、これからの技術に不可欠なのではないか。
と筆者。うん、多分、本書が上梓された時期には納得できる論調だったと思うけど、現代のAIの時代にこの論点はどう考えていけばいいんだろ。機械と人間との関わり方って、随分と変わってきているよね。そういう意味で、最新の新幹線ATCの仕組みを知りたいな…。

おっとその前に、ATSとATCの違いってなんだろ…とか、ATSも進化しているとか聞くし。交通系システムについて、知りたいことが多過ぎるわ…。

新幹線事故 (1977年) (中公新書)
新幹線事故 (1977年) (中公新書)柳田 邦男

中央公論社 1977-03
売り上げランキング : 982416


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

応援クリックはこちら→にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ

教育の職業的意義/本田由紀

教育の職業的意義―若者、学校、社会をつなぐ (ちくま新書)』を読んだよ。やっぱり学校は社会と繋がっている。

もう何年も前になるけど、NHKの番組「爆笑問題のニッポンの教養」に登場した本書の筆者の本田由紀氏。ちょっと生意気そうな口ぶりに太田がちょっかいを出すと、多少のイラつきを見せながらもやり返すというシーンが印象的だったような。自分にとっては、そんなことがインプとされていたので、読みたい本リストに長く留め置かれていたってわけ。

で、序章では、本書の目的が述べられているんだけど、その説明として、

それは、問題が山積みしている現代の日本社会の再編という大きな課題に、教育という一隅から取り組もうとすることであり、魔法のような解決策というよりは、言わば社会の体質改善ともいうべき地味な提言であることは否めない。
と筆者。そう、教育の難しさって魔法のような解決策がないってことが大きいよね。時間はかかるし、効果を測るのも難しい。でも、取り組まないと時間とともに泥沼にハマるごとく、落ちていくし。あぁ。

そして、過去にうまく適用されていた日本型雇用について。

しかし、「日本的雇用」を成立せしめていた条件はすでに変化した。今、特異な時期へのノスタルジーを超えて、何がほんとうに必要なのかを認識し、構想し、実現してゆくことが求められている。
労働者と雇用者がウィンウィンの関係だった時代はそれほど長くは続かなかったんだよね。今や完全にノスタルジーなのは確か…。

後半は「キャリア教育」について。その弊害について、

目標や活動が漠然としていながらも、「よきもの」として強力に推進されている「キャリア教育」は、そうした「漠然たるよきもの」を生徒個々人が自ら体現しなければならない、という圧力として、教育現場において実体化しているのである。
と筆者。なるほど、「キャリア教育」って耳障りはいいけれども、実態としてはそういう見解も分かる気がするな…。

最後に具体策。

すなわち具体的には、義務教育後の、後期中等教育以上の教育段階については、職業と一定の関連性をもつ専門分野に即した具体的な知識と技能の形成に、教育課程の一部を割り当てるという方策である。
そう、高校においては普通科一辺倒の打破、大学においてはL型G型と言われる大学の類型の話に繋がってくるね。あれ?もしかして、本書がその類型の議論の契機になっていたりして。やるなぁ、本田先生。
教育の職業的意義―若者、学校、社会をつなぐ (ちくま新書)
教育の職業的意義―若者、学校、社会をつなぐ (ちくま新書)本田 由紀

筑摩書房 2009-12-01
売り上げランキング : 72575


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

応援クリックはこちら→にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ