新幹線事故/柳田邦男

新幹線事故 (1977年) (中公新書)』を読んだよ。この歴史の上に、今の新幹線有り。

柳田邦男氏の交通機関の事故シリーズの1冊。柳田氏のこの手の本は航空機ものが多いけど、今回は鉄道。と言っても新幹線なので、そのシステムは航空機ほど複雑ではないけれども、大規模なシステムに運行が支えられているのは変わらないわけで、やはり事故の原因と背景を掴み、その根本的な対策を図ることは重要だよね。

本書で検証されるのは鳥飼車両基地、品川車両基地新大阪駅構内で発生した3件の新幹線による事故。その全てがATC絡み。これほど完全なシステムはないと当時の国鉄が自信を持っていただけに、これらの事故はかなりのショックだったみたい。でも、異常事態の発生は事実であり、それぞれにそれなりの原因があるわけ。

事故調査とは何かという観点では、

事故を調査し、安全を考えるということは、例えば落ちた橋を架け直せばよいというようなものではない。なぜ橋が落ちたのか、その原因となったいくつもの要因の、システム全体の中での位置づけを浮き彫りにし、なぜ「絶対安全」と考えられていたシステムの中に、事故の「落とし穴」があったのかを、普遍的な教訓として導き出さない限り、システム全体の安全への道を切り開くことはできない。
と筆者。そう、巨大システムには膨大なファクターがあり、あるファクターを改修しても、それにより別のファクターに影響を及ぼすことも多くあるよね。特にヒューマンファクターへの影響が大かな。

そして、そのヒューマンファクターについては、

安全にかかわる基本的な部分については、人間がいつでも取って代われるだけの対応力(知識、判断力、処理技術)を保持するような教育訓練体系を整えることが、最低限必要な条件ではないか。機械と人間との間に境界線を引くのではなく、相互に重複させ、人間の主体的能力の退化を防ぐ道を考えることこそ、これからの技術に不可欠なのではないか。
と筆者。うん、多分、本書が上梓された時期には納得できる論調だったと思うけど、現代のAIの時代にこの論点はどう考えていけばいいんだろ。機械と人間との関わり方って、随分と変わってきているよね。そういう意味で、最新の新幹線ATCの仕組みを知りたいな…。

おっとその前に、ATSとATCの違いってなんだろ…とか、ATSも進化しているとか聞くし。交通系システムについて、知りたいことが多過ぎるわ…。

新幹線事故 (1977年) (中公新書)
新幹線事故 (1977年) (中公新書)柳田 邦男

中央公論社 1977-03
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教育の職業的意義/本田由紀

教育の職業的意義―若者、学校、社会をつなぐ (ちくま新書)』を読んだよ。やっぱり学校は社会と繋がっている。

もう何年も前になるけど、NHKの番組「爆笑問題のニッポンの教養」に登場した本書の筆者の本田由紀氏。ちょっと生意気そうな口ぶりに太田がちょっかいを出すと、多少のイラつきを見せながらもやり返すというシーンが印象的だったような。自分にとっては、そんなことがインプとされていたので、読みたい本リストに長く留め置かれていたってわけ。

で、序章では、本書の目的が述べられているんだけど、その説明として、

それは、問題が山積みしている現代の日本社会の再編という大きな課題に、教育という一隅から取り組もうとすることであり、魔法のような解決策というよりは、言わば社会の体質改善ともいうべき地味な提言であることは否めない。
と筆者。そう、教育の難しさって魔法のような解決策がないってことが大きいよね。時間はかかるし、効果を測るのも難しい。でも、取り組まないと時間とともに泥沼にハマるごとく、落ちていくし。あぁ。

そして、過去にうまく適用されていた日本型雇用について。

しかし、「日本的雇用」を成立せしめていた条件はすでに変化した。今、特異な時期へのノスタルジーを超えて、何がほんとうに必要なのかを認識し、構想し、実現してゆくことが求められている。
労働者と雇用者がウィンウィンの関係だった時代はそれほど長くは続かなかったんだよね。今や完全にノスタルジーなのは確か…。

後半は「キャリア教育」について。その弊害について、

目標や活動が漠然としていながらも、「よきもの」として強力に推進されている「キャリア教育」は、そうした「漠然たるよきもの」を生徒個々人が自ら体現しなければならない、という圧力として、教育現場において実体化しているのである。
と筆者。なるほど、「キャリア教育」って耳障りはいいけれども、実態としてはそういう見解も分かる気がするな…。

最後に具体策。

すなわち具体的には、義務教育後の、後期中等教育以上の教育段階については、職業と一定の関連性をもつ専門分野に即した具体的な知識と技能の形成に、教育課程の一部を割り当てるという方策である。
そう、高校においては普通科一辺倒の打破、大学においてはL型G型と言われる大学の類型の話に繋がってくるね。あれ?もしかして、本書がその類型の議論の契機になっていたりして。やるなぁ、本田先生。
教育の職業的意義―若者、学校、社会をつなぐ (ちくま新書)
教育の職業的意義―若者、学校、社会をつなぐ (ちくま新書)本田 由紀

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知らないと恥をかく世界の大問題9/池上彰

知らないと恥をかく世界の大問題9 分断を生み出す1強政治 (角川新書)』を読んだよ。世界の潮流は右往左往。

いつの間にか名城大学教授の肩書を持つようになった池上彰氏。有名な東工大は特命教授だったのか…。それにしても、いろいろな肩書があるんだね。それはさておき、本書は「知ら恥シリーズ」(出版社が今回から命名したみたい…。)の第9弾。もう9冊目か…。9冊とも読んでいるけれども、やっぱり、中東問題はよく分からないというのが正直なところ。アメリカ、ロシア、中国、EUはなんとなくイメージがつくんだけどね。

で、今回は読んでいておやっと思うことあり。それは、池上氏の意見というか主張がチラチラと見え隠れするから。それは、あのトランプに対する批判的な視点。例えば、

トランプは、国際的な枠組みに入っていないと自国に不利になるということをどうやらようやく理解し始めたようです。
とか、
トランプは「テロとの戦い」などと言いながら、世界中のアメリカ人を危機にさらしたことになります。
とか。今までは中立的なジャーナリストの立場が強かったんだけど、どうもトランプに対しては、そのタガが外れるというか…。そんな印象があるよ。

ただ、トランプのような自国ファーストについては、世界の潮流的な側面があるので、それに対しても全面批判モード。イギリスのEU離脱にしても、スペインのカタルーニャ独立運動にしても、

「自分さえよければ」という行動が、回り回って自分たちにダメージを与えることがわかったのです。
と。自分ファーストって、結局いいことはないよね。一時的な受けはいいので、選挙にはもってこいの戦略なんだろうけど。

そして、この流れについて、

近年、世界は自分の国さえよければいいという“バラバラになるベクトル”が働いていましたが、むしろ「それではいけない」という働きがこれから先は出てくるのではないかと思っています。
との見解。そう、この揺り戻しは意外に早い展開になるかもしれないね。世界の動向が早過ぎるのが最大の問題のような気がするな…。
知らないと恥をかく世界の大問題9 分断を生み出す1強政治 (角川新書)
知らないと恥をかく世界の大問題9 分断を生み出す1強政治 (角川新書)池上 彰

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学校では教えない「社会人のための現代史」 池上彰教授の東工大講義 国際篇/池上彰

学校では教えない「社会人のための現代史」 池上彰教授の東工大講義 国際篇 (文春文庫)』を読んだよ。これがあるから今がある。

池上彰氏の東工大講義シリーズの第3弾。第1段は既読だけど、間違えて、第2弾を読み飛ばしてしまったみたい。まぁ、順番はあまり関係ないと思うけど。ということで、今回は国際編。となると、池上氏の『知らないと恥をかく世界の大問題』シリーズと何が違うのかという素朴な疑問がないわけではないけれども…。

まずは気になるのがこのタイトル。「学校では教えない」ってところがミソで、3学期になって時間切れで現代史はスルーすることが多いけど、もう一つの要因は、定説になっていないということ。なるほど、流動する社会でいい加減なことは教科書に書けないっていうわけね。じゃ、我々は池上さんの本でしか、勉強できないってわけか…。

一番大きなテーマは東西冷戦。うん、世界的な影響が大きいからね。そして、ソ連の崩壊とプーチンの独裁。社会主義繋がりで、中国。その中国と日本、台湾の関係も微妙なわけで、それを象徴するのが尖閣諸島の問題。中国、台湾とも尖閣諸島は台湾に属するという見解。さらに、中国は、

しかし、「台湾は中華人民共和国の一部である」から、尖閣諸島は中国のものである、という論理なのです。
という論理展開なのだと。ビックリ。論理としては正しいんだろうけど、前提条件が間違っているような…。

そして、中東問題。

ただ、国際社会は、イスラエルのこの行動を国連決議に反したものだと判断し、 エルサレムイスラエルの首都としては認めていません。 大使館は相手の国の首都に置くものですが、日本を含め各国ともエルサレムには大使館を設置していないのです。
これで分かった。最近のニュースでアメリカ大使館がエルサレムに移転したことが注目される理由が。事情を知ることでニュースを興味深く見ることができるよね。

最後は池上氏のこんな言葉。

自国の都合で 他国に手を突っ込むと、結局は自国に難題が降りかかることがある。各国とも、これを繰り返してきたのです。こうした 愚かな歴史を知ることで、少しでも失敗を繰り返さないようにする。これが、現代史を学ぶ意味なのです。
そう、世界の現代史を最も学ぶべきは世界のリーダーたちなんだろうね。
学校では教えない「社会人のための現代史」 池上彰教授の東工大講義 国際篇 (文春文庫)
学校では教えない「社会人のための現代史」 池上彰教授の東工大講義 国際篇 (文春文庫)池上 彰

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AI vs. 教科書が読めない子どもたち/新井紀子

AI vs. 教科書が読めない子どもたち』を読んだよ。さて、自分は読めていたのだろうか。

筆者は東ロボくんプロジェクトの推進者である新井紀子氏。本業は数学者だったとは…。ということで、AIは何ができるかという観点では、随所に数学的な見解が示されているよ。その東ロボくんについて、東大に合格するロボットを作りたかったわけではなく、

本当の目的は、AIにはどこまでのことができるようになって、どうしてもできないことは何かを解明することでした。そうすれば、AI時代が到来したときに、AIに仕事を奪われないためには人間はどのような能力を持たねばならないかが自ずと明らかになるからです。
と筆者。なるほど、目的は分かった。でも、AIって限界があるのだろうか…。筆者が後述するように、数学的には論理、確率、統計という言葉だけで成り立っているコンピュータには限界があるという理屈。それ故に、シンギュラリティも来ないと断言しているよ。最近、シンギュラリティで頭がオーバーフローした自分的にはちょっと混乱。

で、後半はAIの話を受けて、「教科書が読めない子どもたち」の話。AIは「意味を理解しない」のだから、人間こそ意味を理解できなければならないんだけど、どうやらそこがアヤシクなってきているのだと。その点を十分な調査の上で、

読解力こそ、AIが最も苦手とする分野であることは、この本の中で再三述べてきました。しかし、残念なことに多くの人が、AIに対して優位に立てるはずの読解力で、十分な能力を身につけていません。さらに、日本の教育が育てているのは、今もって、AIによって代替される能力です。
と言っているよ。う〜ん、中高生は本当のこんなレベルなのか…。これじゃ、大学受験レベル以下のような気がするのだが…。

筆者的な結論。

重要なのは柔軟になることです。人間らしく、そして生き物らしく柔軟になる。そして、AIが得意な暗記や計算に逃げず、意味を考えることです。
と。そう言われると、分かるような気がする。意味を考えずに、機械的に処理しようとする人間が気になるこの頃だからなぁ〜。
AI vs. 教科書が読めない子どもたち
AI vs. 教科書が読めない子どもたち新井 紀子

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数学する身体/森田真生

数学する身体 (新潮文庫)』を読んだよ。身体がなければ数学もできない。

単行本が出た時から気になってはいたんだけど、なんだか内容が高度な感じで少し様子見にしていた本書。今回、文庫版が出たということでようやく読みたい本リストに登録。そう、単行本の時に既に小林秀雄賞を受賞していたから、余計に難易度高いというイメージがあったかな。

筆者は1985年生まれの数学研究者森田真生氏。本書のねらいを冒頭で、

これは、数学に再び、身体の息吹を取り戻そうとする試みである。全編を読み通すために、数学的な予備知識は必要ない。数学とは何か、数学にとって身体とは何かを、ゼロから考え直していく旅である。
と筆者。そう、今の数学は人間の身体的感覚を超えたところで議論がなされている感じ。それはそれで論理としては正しいんだろうけど、それでいいのか?ということを考えることがテーマなんだろうね。

では、数学を身体化するとは何か。

ひとたび「身体化」されると、紙と鉛筆を使って計算をしていたときには明らかに「行為」とみなされたことも、今度は「思考」とみなされるようになる。行為と思考は案外に微妙なのである。
うん、これは分かりやすい説明かも。行為がいつの間にか思考になっていることってよくあるよね。人間の行動ってすごく複雑。

身体化の話のあとは、数学の進展について。それは抽象化というか、数学をメタ的に考える歴史。そして、チューリング岡潔が登場する。二人とも心の究明に向かっているのだけれど、そのアプローチが違う。

チューリングが心を作ることによって心を理解しようとしたとすれば、岡の方は心になることによって心をわかろうとした。チューリングが数学を道具として心の探求に向かったとすれば、岡にとって数学は、心の世界の奥深くへと分け入る行為そのものであった。
まさに、アプローチが西洋的と東洋的だって言えるよね。筆者が岡よりの立場を取っているのは、やっぱり日本人だからなのかなとは思うけど。いや、自分的にはチューリングも好きなんだけどなぁ〜。
数学する身体 (新潮文庫)
数学する身体 (新潮文庫)森田 真生

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うっかり鉄道/能町みね子

うっかり鉄道 (幻冬舎文庫)』を読んだよ。こんなうっかり旅もいいかな。

鉄道ものにすぐ反応してしまう自分。今回もうっかり反応して、本書を手に取る。しかも、女子※の二人旅。なんとなく、うっかりぶりが想像できる感じもするし。
※自分はこのあとに知ることになるんだけど、ここはれっきとした女子の二人旅というのでよいと思う。

では、どんな二人なのか。筆者の能町女史は、関東近郊の路線図をスラスラ書けてしまうほど。しかも、そのほとんどを乗っているという。これはれっきとした鉄道マニアなんだろうけど、本人曰く、「鉄道好きではあるけれども、断固として鉄道マニアではない。」ということ。一方、同行のイノキンさん。

イノキンさんは年末の帰省で、普通なら新幹線+乗り換え2回程度で帰れる実家に、各駅停車で超遠回りして14回も乗り換えて帰ったのである(途中で2泊)!
と、能町女史も素質を認めるテツぶり。

で、二人の鉄道旅はどんな感じかというと、鉄道そのものにはあまり興味が向かず、駅舎とか駅の設備とか駅の周りの商店街とかに視点が行きがち。鶴見線国道駅では駅の下の国道下という焼き鳥屋に興味がいったり、岳南鉄道ではオシャレカフェでマッタリしたり。江ノ電に乗った時には、

そういえば、これって鉄道の企画なのに、電車そのもののことにはほとんど触れていない。駅のことさえ触れていない。触れているのは周りの家のことだけじゃないか。こんなんでよかったんでしょうか。
とまで。いやいや、それもうっかりでいいんじゃないでしょうか…。

そう、テツの楽しみ方って、いろいろあるってこと。「楽しいね、鉄道。」って思う自分は何テツだろう。

うっかり鉄道 (幻冬舎文庫)
うっかり鉄道 (幻冬舎文庫)能町 みね子

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