数学する身体/森田真生

数学する身体 (新潮文庫)』を読んだよ。身体がなければ数学もできない。

単行本が出た時から気になってはいたんだけど、なんだか内容が高度な感じで少し様子見にしていた本書。今回、文庫版が出たということでようやく読みたい本リストに登録。そう、単行本の時に既に小林秀雄賞を受賞していたから、余計に難易度高いというイメージがあったかな。

筆者は1985年生まれの数学研究者森田真生氏。本書のねらいを冒頭で、

これは、数学に再び、身体の息吹を取り戻そうとする試みである。全編を読み通すために、数学的な予備知識は必要ない。数学とは何か、数学にとって身体とは何かを、ゼロから考え直していく旅である。
と筆者。そう、今の数学は人間の身体的感覚を超えたところで議論がなされている感じ。それはそれで論理としては正しいんだろうけど、それでいいのか?ということを考えることがテーマなんだろうね。

では、数学を身体化するとは何か。

ひとたび「身体化」されると、紙と鉛筆を使って計算をしていたときには明らかに「行為」とみなされたことも、今度は「思考」とみなされるようになる。行為と思考は案外に微妙なのである。
うん、これは分かりやすい説明かも。行為がいつの間にか思考になっていることってよくあるよね。人間の行動ってすごく複雑。

身体化の話のあとは、数学の進展について。それは抽象化というか、数学をメタ的に考える歴史。そして、チューリング岡潔が登場する。二人とも心の究明に向かっているのだけれど、そのアプローチが違う。

チューリングが心を作ることによって心を理解しようとしたとすれば、岡の方は心になることによって心をわかろうとした。チューリングが数学を道具として心の探求に向かったとすれば、岡にとって数学は、心の世界の奥深くへと分け入る行為そのものであった。
まさに、アプローチが西洋的と東洋的だって言えるよね。筆者が岡よりの立場を取っているのは、やっぱり日本人だからなのかなとは思うけど。いや、自分的にはチューリングも好きなんだけどなぁ〜。
数学する身体 (新潮文庫)
数学する身体 (新潮文庫)森田 真生

新潮社 2018-04-27
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