神々の午睡/清水義範

神々の午睡 (講談社文庫)』を読んだよ。人類最大の発明か。

タイトルから類推するに、いろいろな神様が登場してちょっとした事件から大事件まで起こして、さてどうなるやら…という感じかなと読み始めたけど、筆者が清水センセーだったことをすっかり忘れていたのは自分の不覚。そう、今回もパロディー的小説。

そして、その対象となったのが、世界三大宗教キリスト教、仏教、イスラム教。宗教の名前こそ違っているけれども、読み進むほどにどの宗教をパロっているのかが分かってくる。分かるとまたさらに小説の面白さが増幅するっていう仕掛け。

冒頭は、その宗教の起源から。三人の開祖の物語。イエス・キリスト、ゴータマ・シッダルーダ、ムハンマドのパロディーが登場するよ。もう、この段階で面白過ぎるのに、続きの物語がさらに楽しい。後継者とか、教えの解釈の問題とか。例えば、

亡くなった偉人の遺した言葉というのは、後世の研究の対象であり、論争の種になっていく。ひとつの言葉の解釈をめぐって、それを理解するための諸説が入り乱れたりするのである。ひょっとしたらもともとの言葉には大した意味はなく、言った本人も、なんだか今日はとりとめのない話になってしまったな、と反省していたのかもしれないのに。
ということ。そうそう、絶対にそういうことってあるんだと思う。もっと悪いことに、後で「あっ、あれは失敗だったな。」って思っていたことも、遺されていたりするんだろうな。

さらに、解釈を発展させて、別の概念を作り上げる事例も。

アルカマ・ミザーロは神を説いたが、悪魔などは説きはしなかった。ところが教会はいつの間にか、悪魔の存在を口にするようになり、二神教に近いことを言うようになっていたのである。
これはもう、自己矛盾を起こしているよね。

そして、近現代。宗教対立を背景に戦争も起こる。

「もしそうだとすれば、神様はどうしてそんな、神の教えに従わない存在をお造りになったのでしょう。それはただ、亡ぼされるために創造されたのでしょうか」
と登場人物の一人が語る。これも自己矛盾が内包しているわけ。

やっぱり、神様ってそんなつもりで世の中を作ったわけじゃないんだろうに…という思いは消えないなぁ〜。

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