幼年期の終わり/アーサー・C.クラーク

幼年期の終わり (光文社古典新訳文庫)』を読んだよ。これがSFの古典か…。

アーサー・C.クラークの名作と言われる本書。SFなんて、もう何十年も読んでいないけど、どうして読む気になったのか、自分でもよく分からない。気の迷いか、またには視点を変えようとしたのか。
アーサー・C.クラークと言えば『2001年宇宙の旅』。映画の方が有名で、原作者のことはすっかり忘れていた感じ。だから、その筆者の名作と言われる本書だから、手に取ったのかもしれないね。

で、今回読んだのは光文社の古典新訳文庫版。SFなのにどうして古典?って思うけど、そもそも初版は1953年。そう、生まれていないわ…。ところが、1990年に筆者は第一部を書き直しているところも面白いよね。

ストーリーはいかにもSF的。ある日、宇宙船団が地球に出現するところから始まる。とは言え、いつの間にか地球は彼ら(オーヴァーロード)の支配下に置かれてしまう。当然、地球人の中にそれに抵抗する勢力もあるんだけど…という感じ。

SFとは言え、本書は人類とは何か、地球とは何かと考えるヒントになるかもしれないね。例えば、こんなくだり。

宇宙は広い。だがジョージを怯えさせるのは、その事実よりも、そこにある謎だった。そのようなことを深く考えるたちではないとはいえ、人類は、外の世界の過酷な事実から隔絶され守られた公園で遊びに夢中になっている子どもだという気がすることがあった。
という感じ。分かるよね。井の中の蛙ともちょっと意味が違うかも。それが証拠にオーヴァーロードたちの支配が満足だったりすると、地球人は宇宙への関心が無くなってきたりするわけだから。

そう、そもそもSFとは未来を考えるもの。未来を考えるということは、人類の将来、どう生きるかを考えることなんだよね。本書が単なるSFに留まらないと言われる理由はそこに通底するものが本書にあるんだろうね。

幼年期の終わり (光文社古典新訳文庫)
幼年期の終わり (光文社古典新訳文庫)クラーク 池田 真紀子

光文社 2007-11-08
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