さらば国分寺書店のオババ/椎名誠

さらば国分寺書店のオババ 「椎名誠 旅する文学館」シリーズ』を読んだよ。オババに会っていたとは…。

本書が情報センター出版局から出版されたのが1979年11月。どうして、本書を知ったのかは全く記憶にない。けれども、本書は当時の自分にとって衝撃的な出会いだったんだと思う。本の帯には「スーパーエッセイ」という文字が有ったのは覚えているから。そして、本書で椎名誠を知り、ハマっていった自分。本書が椎名誠のデビュー作でもあったんだけどね。

何が衝撃的だったかと言えば、その文体と内容。文体は昭和軽薄体と名付けられていたけれども、なんとも言えないリズムというか、繰り返し感というか、比喩的表現というか。
例えば、自動改札になる前の駅の改札にいた仏頂面の駅員(そんな人達がいたことさえ知らない世代がいるという事実にもショーゲキだが)と、それに対比し、必要以上にマイクでがなりたてる車掌(車掌がこんなことをしていたという事実もスゴイ話だけど)について、

改札口とかキップ売場では「オレここ数年口ひらいて声なんか出したことねえよ」というような、東日本仏頂面協会専務理事みたいな顔をしている奴ばっかりなのに、車掌という職業になるととたんに雄弁デカ声になってしまう、というのはこれはどう考えてみてもおかしいではないか。
とシーナ氏。そんな調子で論調的には日本の制服関係の人たちに対する「おまえら気に入らない」話が続く。おっと、キップ売り場なんてものもあったな…。

ところが、シーナ氏が属するマスコミ業界のパーティーに参加して、気がつく。

マスコミは消えてしまってもいいが、消えてしまっては困る、という人々に、なんと「制服関係」の人々が多いことか。これはまったくショーゲキ的なことである。
と反省の弁。さらに、制服関係の人たちと同類だと思っていた国分寺書店のオババ。そして、その国分寺書店がある日突然になくなってしまうと、
不思議なもので、人間というものは自分の生活にとってそんなに深い関係があるわけでもないのに、そこに黙って存在していれば安心し、なにかの都合で急になくなってしまった、ということになると、その空虚感は思いがけないほど大きなものになるらしいのだ。
とシーナ氏。今回、改めて読み返してみるとこんなストーリーがあったんだね。自分の初読は文体と表現に圧倒されていただけで、終わってしまっていたんだろうね。改めてシーナ文学の魅力を知りました〜。っていうか、これって文学か?
さらば国分寺書店のオババ 「椎名誠 旅する文学館」シリーズ
さらば国分寺書店のオババ 「椎名誠 旅する文学館」シリーズ椎名 誠

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