槍ヶ岳開山/新田次郎

槍ヶ岳開山 (文春文庫)』を読んだよ。僧といえども、やっぱり人間。

久しぶりに電子書籍Sony Readerだから、何かのポイントで購入したもの。しばらく、端末の中で温めていたんだけど、タイミングよく紙の本の供給が途切れたので、今回の読本に。

主人公は槍ヶ岳を開山した播隆上人。元は富山の米問屋手代だった人物。富山一揆をきっかけに修行僧となるけれども、その修行ぶりが評判となり、本人の意思とは違う力に抗えず…というのが、全体の流れ。

で、播隆上人が開山したのは、槍ヶ岳だけでなく、その前に笠ヶ岳も。逆に、この笠ヶ岳での体験が槍ヶ岳へ登る意欲を起こさせたよう。それは、亡き妻おはまへの思い。表向きは僧侶としての開山だけど、プライベートな理由もそこにはあるというわけで、播隆上人といえども、人間という側面があり、そこにこの物語の面白さがあるよね。例えば、この物語の大切な脇役の弥三郎という人物に、播隆上人はこう言われる。

(なんとか、かとかうまいことを口にしても、結局播隆さんはおはまさんを弔うために槍ヶ岳を開こうとしているのではないのですか)
鋭いところを突かれているわけで、これがまさに播隆上人の悩みどころなんだよね。

そういう邪念を払うために一心不乱に山に登る播隆上人。後半で登場する播隆上人のスポンサーである成瀬正寿という人物に、

「<前略>ところが貴僧は、ただ念仏を唱えるだけでは極楽に行けぬ、一心不乱の境地になって念仏を唱えないと極楽には行けぬ。一心不乱になるために山に登る。困難に立向う。一心不乱とは自分の力だけで求めることのできる境地だと説いているそうだが、まことにもっともだと思う」
と言われる。そう、登山とは一心不乱なのかもしれないね。
だから、アッシも山に登ろう。すべてが播隆上人には及ばないけど、邪念を払うために。
槍ヶ岳開山 (文春文庫)
槍ヶ岳開山 (文春文庫)新田 次郎

文藝春秋 1977-07-25
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