異端の数ゼロ/チャールズ・サイフェ

異端の数ゼロ――数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念 (ハヤカワ文庫NF―数理を愉しむシリーズ)』を読んだよ。ゼロで割る意味。

単行本が出た時点から気になっていた本書。ハヤカワ文庫の<数理を愉しむ>シリーズから本書が出て、手軽に読めるようになったのが嬉しいよね。ということで、いつもの数学本。
数学本でゼロと言えば『零の発見』が有名どころだけど、『零の発見』はゼロがインドで発見された経緯を中心に記述したもの。本書の場合、発見の経緯が書かれているけれども、それに加えてゼロという概念の恐ろしさというか、ややこしいところを中心に書かれているよ。

では、何がそんなに恐ろしかったり、ややこしかったりするのか?単純に言ってしまうと、割り算の分母をゼロにすること。小学校で教わる割り算では、ゼロで割ることを不能といって、避けるべきものと習ったけど、厳密にいうと、その究極は無限大の概念に繋がっていく。そう、この無限の概念がややこしいんだよね。

さらに、ゼロは哲学とも対立するよ。

ゼロは西洋世界の根本的な哲学的信念と衝突したのだ。ゼロのうちに、西洋世界の教義にとって有害な概念が二つ潜んでいたからだ。この二つの概念は、やがて、長らく君臨したアリストテレス哲学を崩壊させることになる。その危険な概念とは、無と無限である。
そう、やっぱり「無と無限」が問題。

そして、この問題は「極限」の概念に繋がる。それが、数学的には微積分の発見を生み出すわけ。ニュートン微積分は論理的には余り厳密ではなかった感じ。無限小の二乗を無視することで、ゼロで割るという行為を気にしないことにしたから。これを、

正しい答えが出るとはいえ、微積分を用いるのは、神の存在を信じると宣言するのにおとらず、信仰に基づく行為だった。
と筆者。あのニュートンですら、神の領域から微積分を考えていたのかもしれないね。

最後は宇宙論。ゼロで割るという行為を宇宙論として考える。

ブラックホールの無限大の密度は、ゼロで割った結果だ。ビッグバンによる無からの宇宙創造も、ゼロで割った結果である。真空の無限大のエネルギーも、ゼロで割った結果だ。だが、ゼロで割ることは、数学の基本構造と論理の枠組みを破壊する。そして、科学の土台そのものを掘り崩す恐れがある。
恐るべしゼロ。科学者たちがこれを乗り越えるのはいつになるのか。他人事ながら、興味津々です〜。
異端の数ゼロ――数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念 (ハヤカワ文庫NF―数理を愉しむシリーズ)
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