武家の女性/山川菊栄

武家の女性 (岩波文庫 青 162-1)』を読んだよ。皆がいきいきと生きていた。

今回、図書館から借りた本書は、岩波文庫から1983年に第1版が出たもの。かれこれ30年も前のものだから、綴じ側の角は上下とも擦り切れて丸くなっているし、紙もすっかりセピア色。でも逆に、反射がなくて、読みやすいかも。と、これは単に本が古いということを言いたかっただけ。

さて、本書。江戸後期(と言っても、ほとんど幕末)の水戸藩の武士の家庭の様子を、女性たちの生活を中心に綴ったもの。筆者の山川菊栄は昭和の人だが、描かれる女性たちは筆者の祖母と母親が中心となる。ただ、それだけではなく、その親戚一同、近所の人たち、そして水戸藩の人たちも描かれているよ。だから、武家だけではなく、町家の女性たちも登場するんだけどね。

では、どんな生活だったのか。冒頭は子供たちの教育から。男子は塾に通うし、女子は手習いやお縫い子などに通う。そこでの様々なエピソード。
そして、きものについて。幕末だから、舶来ものの生地が海外から入ってきて、人々は争って買う。そんな様子を、

何しろ攘夷攘夷で切り合いをしている人たちさえも、西洋の鉄砲やラシャの陣羽織を大金出して買い込む時世なのですから、攘夷だの開国取消しだのということができない相談なことは分かっていました。開国前はともかく、開国後は水戸に心からt攘夷の可能性を信じ、鎖国が良いと信じたものは一人もなかろうということでした。
と筆者は言う。うん、これが普通の人たちの実態なんだろうね。あるものをそのまま受け入れる日本人らしさがここにあるよね。

そして、各家庭の経済状況はというと、大抵のところが火の車。中途半端に上級武士だと家来も雇わないといけないし。下級武士なら内職可。そうなってくるとほとんど町家の人たちと変わらない生活になってくるんだよね。
平和な時代の武士なんてそんなものなんだろうけど。だから、 明治維新後の身分制度からの解放は経済的にも息がつける状況になったのだとか。筆者は自身の祖父を例に上げて、

自己の勤労や技能によって生活し得るかぎり、身分制度からの解放は、いくらでもよい生活をもたらしたのでしょうから、あのガランとして古ぼけた侍屋敷は、朽ち亡びてゆく封建制度を象徴していたものでありましょう。
と言っているよ。そう、侍屋敷を手放すほど貧乏の武士がいたのだからね。

本書の最後は、維新と女性について。
特に水戸藩は幕末にはいろいろと事件があったよね。水戸藩の女性たちは歴史の表舞台に立っていたわけではないけれども、歴史を陰で支えていたことは事実。筆者はその女性たちを、

それらの人々の夫や息子は、時を得て志士となり時を得ずして逆賊または朝敵として痛ましい最後を遂げました。しかしどちらの場合にも、黙々として働く女たちの刃苦と犠牲には変りがありませんでした。夫や息子たちの流した血は、その母や妻たる人々自身の流した血も同様だったのです。
と言っているよ。そう、これらの女性たちがいたからこその日本の歴史なんだよね。積み重ねていくこと。我々の今はその土台に立っていることを忘れてはならないよね。
武家の女性 (岩波文庫 青 162-1)
武家の女性 (岩波文庫 青 162-1)山川 菊栄

岩波書店 1983-04-16
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