下山の思想/五木寛之

下山の思想 (幻冬舎新書)』を読んだよ。離陸より着陸の方が難しい。

大御所の五木寛之氏は初めて。おっと、大昔に『四季・奈津子』は読んだかも。アッシは中学生だったかも。烏丸せつこ…。
なんだか、話はあらぬ方向に行きそうなので、軌道修正。

ずばり「下山の時代」であるといい続ける筆者。下山というとなにか暗い雰囲気というかネガティブなイメージになるかもしれないけど、登山という行為は登りがあれば、かならず下って完結するもの。だから、決してネガティブなものではなく、登山には必須なものとしてまずは捉える。
そして、登る時には見えなかったものが見えてくるのが下山。歯を食いしばって、夢中になって登れば、周りが見えず、それこそ無我夢中で登り切ったかもしれないけど、その過程はほとんど苦しいだけの記憶だったりする。でも、下山は途中で花が咲いているのを発見したり、ふもとの様子が一望できたり、登りでは体験できないことや新たな発見があったりする。だからこそ、今いかに軟着陸するかを注目すべきだと。
筆者曰く、

世界は確実に下山していく。新興国といわれる巨大国家にしてもそうだ。いまや国境なき放射能の時代に、一国だけの興亡はありえないのである。
と。そう、人類の歴史そのものが下山の時代になっているのかもしれないね。

中盤では、「死と病い」について考える。

人間はみずから欲するものしか見ないのだ。私たちは広角レンズよりなお広く、世界と現実の隅々まで見渡しているかのように錯覚している。
と筆者。しかし、それだからこそ生きていける。すべてを知ってしまえば、それは絶望なのかもしれないよね。

昭和ヒトケタ世代の筆者。戦争で生き残ったといううしろめたさが、この東日本大震災を契機にふつふつと復活してきたのだろうか。だからこそ、あえて下山を選択し、そこへの勧めとなっているのかもしれないね。

下山の思想 (幻冬舎新書)
下山の思想 (幻冬舎新書)五木 寛之

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