山に生きる人びと/宮本常一
『山に生きる人びと (河出文庫)』を読んだよ。土地土地に相応しい生き方があり。
『忘れられた日本人』に引き続き、宮本常一氏。氏の著作を知ったのは、実は本書の方が先。たまたま文庫版が本屋に並んでいたから。で、本書を探していて、図書館で見つけたのが『忘れられた日本人』だったわけ。たまたま『忘れられた日本人』を先に読むことになったんだけど。
『忘れられた日本人』との違いは、生きる人びとの生活環境を山中に限定したこと、歴史的には縄文時代まで遡って、人びとの生活を考察していること。そういう生活をしていることには、過去の経緯があるからね。
では、山に生きる人びととはどのような人たちなのだろうか。
本書では、狩人、サンカ、マタギ、杣人、木地屋、鉄山師、炭焼き、その他に職業ではないけど、落人とか。こう列挙してみると、山に生きる人びとにも、いろいろな生活があるんだよね。そして、平野の人には想像もつかないような生活が…。
例えば、こんな記述が。
狩猟をおこない木地を挽くような仲間は川下から川上にさかのぼるだけでなく、山をこえてやってくることもすくなくない。だから山をこえてやってきて定住したという村は十分に注意してよいのである。そういう村は山中にいくつも見かける。と。実際に赤石山脈の茶臼岳(3000m級の山々)を越えて、住み着いた村もある。筆者の考察では、狩猟をしながら辿り着き、そのまま住み着いたパターンではないかと…。これらの人びとは、住み着いても水田を作らず(土地の条件で難しさ面もあったが)、焼畑や炭焼きなどで生計を立てていたのであろうとも、言っているよ。
逆に、戦さに敗れて逃亡した落人たちは、もともと水田を知っているので、山中に逃れたとしても、水を引いて稲作をしたとか。逆にいうと、山中で水田がある場所は、落人の村と予想することができるかもね。
最後は、筆者の試論。
古い縄文期の民族的な文化が焼畑あるいは定畑などを中心とした農耕社会にうけつがれ、一方水田稲作を中心にした農耕文化が天皇制国家を形成して来る。そしてこの二つのものはずっと後々まで併行して存在しかつ対立の形をとったのではなかろうか。もとより武家社会も中世以来は水田稲作と結びついて来るが、戦闘的できわめて勇敢であった武士団が多く山間や山麓台地に発生している事実は見のがすことができないと思う。稲作、畑作と簡単に区別してしまうけれども、そこには途方もない歴史があり、アッシには想像もつかないような歴史の流れがあるんだろうね。しかも、日本独自ものが。現代に生きるということはその積み重ねの上に成り立っていることを忘れたくないよね。
山に生きる人びと (河出文庫) | |
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