科学コミュニケーション/岸田一隆

科学コミュニケーション?理科の<考え方>をひらく (平凡社新書)』を読んだよ。科学に限らず、コミュニケーションの難しさ。

タイトルの「科学コミュニケーション」という単語そのものが初耳。よくよく読んでみると、筆者の造語みたい。で、科学とコミュニケーションがどう繋がるのかという疑問が湧くわけで、その回答が本書の至るところに展開されているといったイメージの本。
簡単に書いてしまったが、その内容は奥が深く、前述のように一言で言い表すには無理がある。

では、そのエッセンスを幾つか紹介するよ。
まずは、コミュニケーションに関する一般論。

コミュニケーションにとって決定的なこと。それは、コミュニケーションの成否を決めるのは、受けての側だということです。

ということ。うん、これは実体験的にもよく分かる。だから、無関心の人とはコミュニケーションは成立しない訳だよね。そこで事例として出てくるのが、日本人の科学コミュニケーション。科学は人間にとっては基本的に面白くないものであり、無関心層に向かって、科学コミュニケーションを展開しても、何も響くものはないと。
さらに、自然や宇宙は人間にとって興味深いものであるけれども、それはあくまでも「対象」であり、この「対象」を「認識」する方法のひとつとして科学がある。しかし、その「方法」が人間に忍耐を強いるものであり、面白さが伝わらないひとつの理由であると分析しているよ。あら、科学者はマゾか…。

物理学が難しい理由の考察も面白い。人間は意外に論理的でないし、分かることと納得することはまったく違うことを脳科学的に解説してみたり。そう、現代物理学は抽象的な概念の世界に突入しており、現実的にイメージできる世界ではないからね。分かっても納得することはできないよね。

科学の歴史も振り返る。合理と神秘の間で揺れてきた科学。どちらが勝ったのかという命題が提示されるけれども、そういうことではないんだよね。

もし、科学が知識のことを指すのであれば、勝ったのは合理とも神秘とも言えません。しかし、やはり科学は「方法」なのです。研究対象や得られた知識を指すのではありません。
<中略>
ですから、本物の科学を伝えようと思ったら、それは知識だけでは不十分なのです。真に伝えるべきは方法と世界観なのです。

と、ここが本書の肝になる部分かな。

これだけ世の中が豊かになったのは科学の発展があったから。だからこそ、無関心でいるわけにはいかないのに、特に日本人は無関心。欧米の反科学でもなく、非科学でもない。一番酷いパターンかも。アッシは好科学なので、科学の面白さを知ってもらいたいという気持ちは強いけど、こんなに難しいことだと知ることが出来ただけでも、科学好きにはたまらない一冊かもしれません〜。

科学コミュニケーション−理科の<考え方>をひらく (平凡社新書)
科学コミュニケーション−理科の<考え方>をひらく (平凡社新書)岸田 一隆

平凡社 2011-02-16
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