武士の家計簿/磯田道史

武士の家計簿 ―「加賀藩御算用者」の幕末維新 (新潮新書)』を読んだよ。芸は身を助ける。芸って算術のことだけど。

映画が公開されている本書。映画は見ていないけど、題名がちょっと興味深いので注目していたけど、案の定、本の方も人気。図書館でも予約多数状態。

さて、話の内容としては、サブタイトルの「「加賀藩御算用者」の幕末維新」がピッタリの感じだけど、そのきっかけは本書のタイトル通り。筆者は神田神保町古書店で「加賀藩猪山家」の文書を入手することで、この考察が始まるわけ。
その文書の中で注目されるのが、詳しく書かれた家計簿。それが延々と何代に渡って残されたものであるのも凄いこと。それが可能だったのも、猪山家が代々算術(和算)に長けていたことによるのが一因でもあるよ。
そして、この算術は明治維新移行、没落士族にならずに済む要因ともなったのだから、まさに算術は身を助けることになったわけ。

例えば、「算術から身分制度がくずれる」というのは世界的な傾向であったらしいよ。つまりは、官吏や軍人は世襲ではなく、個人能力による試験選抜に近世は移行していく。とくに「大砲と地図」。まさに計算能力が必要だよね。猪山家は士族であったわけだけど、藩の中でも会計係として取り立てられて、出世していくよ。
また、その背景としても、江戸時代は官僚(役人)の役割が重要になってくる時代でもあったわけ。

さて、実際の猪山家の家計はどうったのか?はっきり言って、火の車。その要因として支出の占める割合が大きいのが「身分費用」というもの。

この八〇〇匁の支出は、猪山家の生活の質がよくなるような種類のものではない。猪山家が「武士身分としての格式を保つために支出を強いられる費用」である。召使いを雇う費用。親類や同僚と交際する費用。武家らしい儀礼行事をとりおこなう費用。そして、先祖・神仏を祭る費用。これは制度的・慣習的・文化的強制によって支出を強いられる費用である。
しかも、それに見合う収入はまったく無いわけで、家計が苦しくなるのは当然。
で、猪山家では家財道具や衣類を売却したり、借金返済にあたり交渉したりで、何とか凌いでいくよ。

そして、明治維新武家社会の崩壊で、猪山家はどうなったか。御ご算用者としての経験から、海軍官僚にヘッドハンティングされ、安定した収入を得るようになっていく。

思うに、江戸時代の猪山家は、由緒家柄を重んじる藩組織のなかで蔑まれ続けてきた。ソロバン役という「賤業」についていたからである。ところが、幕藩社会が崩壊し、近代社会になると、この「賤しい技術」こそが渇望され重視されるようになった。由緒や家柄は藩内でのみ通用する価値である。藩という組織が消滅すれば、もう意味はなくなる。しかし、猪山家の会計技術は藩という組織の外でも通用する技術であった。この違いが猪山家を「年収三六〇〇万円」にし、由緒だけに頼って生きてきた士族を「年収一五〇万円」にした。
恐ろしいほどの年収差だよね。

変化することは難しい。猪山家も明治維新の意味が分かっていたわけでもないんだろうけど。というより、子供の教育をしっかりやっていたことが良かったんだろうね。時間は掛かるけど、次世代を担う教育は大切だよね。

武士の家計簿 ―「加賀藩御算用者」の幕末維新 (新潮新書)
武士の家計簿 ―「加賀藩御算用者」の幕末維新 (新潮新書)磯田 道史

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