やぶにらみ科学論/池田清彦

やぶにらみ科学論 (ちくま新書)』を読んだよ。原理主義が大嫌い?

久しぶりの池田先生。「ちくま」に連載されたエッセイを中心にまとめたもの。いつものように池田節が炸裂だけど、よくよく考えてみると非常に常識的だったり、他の人も同じようなことを他で言っていたり。当たり前のことを当たり前のように言う人が少ないのかもね。

最初に定義。「好コントロール装置」という池田先生の造語。で、

近代国家は好コントロール装置である。この装置の欲望は、世界を人々の生死まで含めコントロールしたいということに尽きる。
と言う。そこで、いろいろな事例を取り上げて、好コントロール装置の悪事?を暴いているよ。
例えば、同時多発テロ。国家にとって、それにより多くの人が亡くなったことより、それがコントロール不能だったことに衝撃だったと。逆に交通事故は毎年1万人程度の人達が亡くなっているが、これは予測可能の範囲だから、好コントロール装置が慌てることはない。1万人も亡くなっているのに、自動車禁止にはならないからね。禁煙キャンペーンもしかり。世の中にはお節介が多いと池田先生は嘆く。

池田先生の嘆きは教育論にも及ぶよ。
小学校から大学にいたるまで、わかる授業をせよという圧力が満ちている日本の教育では、大半の若者はバカになるよりないと言い、

人は自分で悟る以外は、あらかじめわかることしかわからないのだから、わかる授業しかするな、ということは、難しいことは教えるな、というに等しい。<中略>難しいことは難しいままに悟る他はないのだ。
というのがその理由。「わかることしかわからない」とは、確か外山先生も言っていたような。そして、わかることがわかっても知識に何も得られないということも。わからないことがわかるようになるには、精神の緊張を伴うのだけれども、それを忌避するのが現代人なんだよね。アッシも含めて。

池田先生の批判する原理主義をもうひとつ。
それは知的能力平等原理主義。それは、子供はみんなキラキラした才能を持った天才である。それが大人になって凡人になってしまうのは、才能をうまく引き出せなかった教育や周りの大人が悪いのだ…という言説。これが、1960年代からはじまった高等教育機関の定員増の背景であると。

文部省の官僚は、実は隠れ共産主義者(それも幼稚な)だったのかも知れない。
と過激な発言で締めくくる。でも、文部省の役人がどうだかという話は別にして、あの定員増は実質的に何をもたらしたのかなぁ〜。その結果、残ったのは負の遺産ばかりだったりして。負の遺産を維持できるなら、まだいいほう。大学倒産の時代に突入しているわけだから。

虫好きという共通点から、論調が養老先生に近いけど、誰もが現代ニッポンを憂いているのは事実。池田先生のように批判的な精神は忘れたくないね。

やぶにらみ科学論 (ちくま新書)
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