名ばかり大学生/河本敏浩

名ばかり大学生 日本型教育制度の終焉 (光文社新書)』を読んだよ。子供は育てたようにしか、育たない。

大学生の質の低下はいつの時代にも叫ばれていて、今のアッシが見ていても「近頃の学生は何であんなことをしているのかなぁ〜」なんて思うことがあるけれども、学生時代のアッシも大人から見たらそう思われていたかも。そう思うと、教育の問題って世代問題でもあるような。
結局、教育の効果って、すぐには表れない。気がついたら次の世代はこうなっていたっていうことが多いよね。気がついた時にはもう遅くて取り返しのつかないことになっている場合がほとんど。そこから対策を打つから、後手後手の感は否めない。構造的な問題なのかもね。

と、いきなり感想を展開してしまったけれど。本書の内容を紹介。

1章では、学力は本当に低下しているのかを、いろいろなデータから検証。結局、基礎学力のない学生が存在するのは確かであるとの結論。1970年代に一世を風靡した暴走族レベルの学力の高校生らが大学に進学してきているという分析。その要因として、「少子化と実質的な大学定員増」を上げているよ。

少子化の流れはどうしようもないとして、実質的な大学定員増は改善することができるのか。単純なことは、定員を減らせばよいということになるが、そこには学校の「荒れ」の存在を指摘する。
その現象が顕著に現れた愛知県の例が凄いよ。愛知県では高校への進学率を政策的に絞り、管理教育を徹底した。進学意欲があっても進学できない中学生が出てきた。その結果学校が荒れた。
その管理教育の最たるものが、「戸塚ヨットスクール」。そんな名前、忘却の彼方にあったけど、久しぶりに聞く言葉。そういう背景があったのか…。

そして、もうひとつの問題として指摘するのが、学力よりも序列を優先する思想。
世代別の学力を見ていくと、昔の東京大学の問題は易しく、現在の東京大学の問題はそれよりはるかに難しくなっている。つまりは、昔はちょっと勉強すれば、それなりに学力が伸びて東大にも入れた時代。
さらにもうひとつの事例として、現代の東京の有名私立中学の入試問題と1955年の和歌山大学の入試問題が比較され、前者の方がはるかに難しいという分析。
だから、学力云々より、格差の広がりが拡大しているということを指摘。既に12歳でエリートパスポートを手にするのだ。

最後の結論は、以下の引用がすべて。

私立中学は大学の求めるまま仕組みを作り上げている。だから、私立の教育が悪いのではなく、そういった仕組みにメリットをもたらす入学試験を延々と続ける大学教授、つまり「自分」が悪いのである。大学の教員が、大学生に問題を感じるならば、入学後教育と試験制度を見直してみるべきである。
そう、最後は大学が悪いという結論。そうかもしれない。自己を省みない大学。これも人災なのか…。
名ばかり大学生 日本型教育制度の終焉 (光文社新書)
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