汽車旅放浪記

汽車旅放浪記』を読んだよ。懐かしの宮脇俊三内田百けんなどが満載〜。

中学2年の時だったか、同級生の間で時刻表が流行っていた。そう時刻表マニア。それに関する本もたくさん出ていて、大阪へ出張に行くのに、新幹線や飛行機より早く、朝一番で着く方法などが照会されていたっけ。
要は、あの分厚い時刻表には凄い情報がいっぱい隠れていて、それを読み解く楽しみっていうか、ちょっとした推理小説なみの面白さがあるっていうわけ。
お陰で、アッシもすっかりはまってしまって、分厚い時刻表が自分の部屋に山積されていくのでした〜。
その勢いで高校生くらいになってから、宮脇俊三とか内田百けんなども愛読。特に宮脇は新刊が出るとすぐに購入して読んでいたよ。

…と、アッシの話はココまでで、本書。筆者の関川夏央氏もちょっとした鉄道マニア。でも、単なる紀行文ではなく、文学作品とのコラボっていう感じ。近代文学(汽車の登場が近代からだからだけど)に登場する汽車旅を紹介しながら、その裏話と筆者による実地の旅をまとめているよ。

登場する文学作品は多彩。川端康成の『雪国』。うん、これはイメージが付く。高村光太郎の『智恵子抄』。智恵子さんとはこういう人だったのか…。松本清張の『点と線』。まさに時刻表を扱った小説だけど、松本清張その人の人となりに興味。林芙実子の『放浪記』。この人の半生も凄い…。そして、今、ちょっとしたブームの太宰治。この人の人気の秘密がアッシには分からん…。

夏目漱石の作品にもかなりのページを割いているよ。『坊ちゃん』では、四国への旅。『三四郎』では、熊本から東京へ出てくる旅。『門』では東京市街電車や郊外鉄道。これは旅とは言わないけど。
そして、夏目漱石は鉄道で三四郎に「二十世紀」を体感させたという。漱石が33歳でロンドンで体験した鉄道は「二十世紀」という現代を象徴するものだったと。

アカの他人を大量につめこんで走るという意味で、「汽車的」なものが主役の時代を「現代」という。漱石の作中にある知識人たちの人間関係、肥大した自我をもてあます青年、彼らの就職と失業、みな「汽車的」なものが代表すし主導する経済の甚大な影響をまぬがれ得ない。漱石がえがいた「現代」は、たったいまの「現代」にも共有されるのである。
汽車を現代の象徴とする発想は初めて…。面白い。

宮脇俊三の旅も追跡する。特に乗り残した路線を乗りつぶす旅。宮脇俊三の本からは読み取れないような背景や裏話が出てくるよ。これもまたワクワクする。

内田百けん、相変わらずわがままな爺さんだけど、なんとなく憎めない。いいキャラだよね。

本書を読んだだけで、文学作品に触れたような気になるのは、やっぱり汽車旅と文学作品の相性がよいからなのかもね。う〜む、また『阿房列車』でも再読してみるかぁ〜。

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汽車旅放浪記 (新潮文庫)関川 夏央

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