先生はえらい
『先生はえらい』を読んだよ。先生との関係って、恋愛と同じだなんて…。
また、内田樹。なんだか凄いタイトルだけど、内容的には生徒として、先生との関係ってどう築くのかっていうことをいろいろな事例を交え、且つ遠回りをしながら、説明した本。筆者も言っているけど、脱線(でも本質に係る話なんだけど)が多くて、幾ら読んでもなぜ先生がえらいと言えるのかに辿り着かないイライラもあり…。
とは、言え、相変わらず含蓄のある見解が多数散りばめられていて、目からウロコが満載。
例えば、先生との関係から学ぶことの意味を問う。そして、知識や技術を習得するためではなく、
自分がこの世界でただひとりのかけがえのない存在であるという事実を確認するために学ぶのだと。そして、先生はその「私の唯一無二の保証人である」とも言います。つまりは、先生は同じことを教えているようであっても、生徒の方はそれぞれに違うことを学んでいるのだということです。それが学びの主体性だそうです。小難しいようだけれども、すごくよく分かるような…。
さらに小難しい話。対話の本質性について。
話す方は「言うつもりのなかったこと」を話して「ほんとうに言いたかったことを言った」という達成感があり、聴く方は「聴くつもりのなかった話」を聴いて、「前から聴きたかったことを聴いた」満足感があるといった対話はお互いに気分がいいわけで、これを言い換えると、
当事者のそれぞれが、そんな欲望を自分が持っていることを知らなかった欲望に気づかされるという体験。これが対話の本質なのだとか。変な話。順序が逆のようだけど。よ〜く考えてみるとそうかも。
しかも、対話の中で、自分の言いたいことが出てくるって感じはすごくよく分かるような気がする。そう、言いたいことがあって話すのではなく、言いながら言いたいことを探り出しているイメージかな…。
コミュニケーションの基本もそれ。言いたいことが分かったり、言い終わってしまったら、コミュニケーションは終わり。人間ってコミュニケーションしたい動物だから、そういう順序が逆のようなことが、本質になるんだろうね。
最後は、能楽の『張良』という曲の話から、「先生はえらい」を解説する。これがまたすごくヘンな話なんだけど、よ〜く考えてみると奥が深いというか含蓄のある話…と思わせるところがまた凄い。いや、そう思うことこそが、まさに学ぶことの主体性なんだよね。
と、筆者の罠にまんまとハマったアッシでした〜。
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