愛国の作法

『愛国の作法』を読んだよ。精神の緊張を高度に伴う読書。

姜尚中氏の著作は初めて。本当は同氏の『悩む力』を読みたいんだけれども、売れているだけあって予約多数。ひとまず『ニッポン・サバイバル』でお茶を濁すつもりで、図書館へ。『ニッポン・サバイバル』はすぐに見つかり、その周辺を物色するうちに、本書が目に入る。で、引き寄せられるように、こちらを借りてしまったわけ。

その結果が冒頭の一文。って言うか、理解できないところばかり。引用は多いし、難解な熟語は多いしで、悪銭苦闘。
そうとばかりも言っていられないので、一応思ったことをまとめてみる。

まずは、藤原先生の『国家の品格』を否定する。

「日本的な」情緒や感性を強調する論者のなかには、しきりに近代的な理性と論理の世界の限界や破綻をなじる人々がいます。余りにも浅薄としか言いようがありません。
そして、客観的に考える能力が「愛するということ」の技術の習練に必要になってくると言っているよ。

そして、郷土(自然)としての国家と社会(作為)的な国家との違いについて。ここで登場するのは、伊藤博文。アッシの世代には千円札の人だけど、明治維新において国民をまとめる作業の功労者として、評価されているよ。

天皇という、当時では無か空に近かった一点を、虚構ながら論理と価値の頂点に置くことによって、この世はみな平等になり、将軍も大名も上士も絵空事になるというわけです。
そして、伊藤は「国体」の憲法を作ろうとしたのだと。これは「伝統的天皇」ではなく、「超越的統治権者」としての天皇の創出だったとも。
こうなるとさっぱり分からなくなる。日本には伝統なんてないんじゃないか、悠久の歴史なんて明治維新に作られた意識なんじゃないかとも思えてくる。実際、そうなのかもしれないね。明治維新前は、国家=藩だった訳だから。
だから、
日本国憲法の「国家」とは、「憲法の定める統治の基本秩序」と目指しているのであって、それ以前の裸の美しい国土とか、文化、伝統ではないのです。
と、『美しい国へ』の著者を否定するよ。

さて、そろそろまとめなくてはいけないけど、アッシ的には以上のような状況で、まとめるほど理解できていないわけ。
分かったことと言えば、郷土を愛するということと国家を愛するということ違うということ。たまたまそれがイコールの人がいるだけであるということなんだろうね。
ひとまず、姜尚中氏の著作を引き続き、読んでいこうとは思っています。

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