芸術の神様が降りてくる瞬間

『芸術の神様が降りてくる瞬間』を読んだよ。芸術の神様の言っていることは難し過ぎる…。

茂木さんが「ニューロンの回廊」というBS日テレの番組で対談したものをまとめた本。対談の相手は、町田康(作家、ミュージシャン)、金森譲(ダンサー、演出振付家)、山下洋輔(ジャズピアニスト、作曲家、作家)、立川志の輔(落語家)、荒川修作(建築家、コーデノロジスト)の5氏。いわゆる芸術分野で活躍する人たち。

初っ端は、町田康。小説を書くには魂が荒れている必要があると言う。

荒れていると、水が染むこむように音が沁み込むんですね。ツルツルしてコーティングされていると、弾き返しちゃうんですよ。魂がある程度、すさんでいるとは言いませんが表面がザラザラしていないといけない。
…と。じゃ、荒れた魂って何だ?って聞かれるとよく分からないんだけどね。単に屈折しているだけじゃ、荒れた魂にはならないような気がするんだけど…。
で、全体的に、町田康の茂木さんに食って掛かるような物言いが気になるんだけど。

二人目は金森譲。17歳でローザンヌのダンス学校に留学。一人きりの生活で、ひたすら自分と向き合うだけの生活。「何で、心臓は動いているんだろ」とか「体が動いているのは、僕の意思なのか、神の意思なのか」とか考えたとか。一人のプレッシャーってそれだけ強烈なのか…。
プレッシャーの話をもう一つ。プレッシャーが大好きで、そのアドレナリンが出てくる感じがよいとか。茂木さん的には、プレッシャー中毒になった要因として、そのプレッシャーを乗り越えた先に成功体験があったはずだとコメント。さらに、「プレッシャーが遊びの種になっているんだね。」…と茂木さん。

三人目は山下洋輔。この人は、アッシもよく知っている。「でたらめに見える秩序」という考え方が面白いよ。どんなにでたらめにやっているようであっても、本当のランダムは人間には作れないと。さらに、そのでたらめというのは、それまでの規則から外れているだけであって、新たな規則で生成されたものなのだという考え方。うん、これは発想の転換と言うか、元々、人間は規則を見出してしまうもの。これが不思議な感覚なんだよなぁ〜。
リズムだけで俳句は成り立つという会話もしているよ。例えば、
「ちりちとて むろめめくいと こむいらし」
「たつけんみ そほしむらいろ とてんつき」
なんかわからないんだけど、でも、なんか…いい俳句。…と二人。うん、アッシもそう思う。

四人目は立川志の輔。話芸っていうくらいだから、落語家も芸術家なんだろうね。
落語の最後の一番大切な場面で、お客さんの携帯が鳴った時の話に対して、瞬間的な状況判断は、自分を外から見ているような自分がいることでうまくできるのではないかと茂木さんが質問。それに対して師匠は、

ひょっとするとそうかもしれないです。自分よりも外にいる自分を鍛えるのが修行かもしれないですね。<中略>自分の外にいる、客観的に状況判断ができる自分をもう一人養うというか、つくるのが修行かもしれないですね。
と回答。修行の話まで発展するとは。

さて、最後に登場は、荒川修作。この対談は意味不明。荒川修作の言っていることが、アッシにはさっぱり分からず。岡本太郎風「芸術はバクハツだ!!」的発言だし。例えば、

地球上で人間くらい野蛮な生き物はないんだよ。それが証拠に、風に聞いたり、空気に聞いたりしてみろよ。「もうお前たちはしょうがない」って言うから(笑)。
久しぶりに読むのが苦痛…。

それでも、茂木さんのあとがきに書かれていたことで、何とか納得。
自らの成り立ちにおいて多様であれ。そして、容易には理解し得ない、異質な他者を許容せよ。
…と。

芸術の神様が降りてくる瞬間
芸術の神様が降りてくる瞬間茂木 健一郎

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