学問と「世間」
『学問と「世間」』を読んだよ。阿部謹也シリーズ第2弾。
本書の前半は、日本の学者たちの現状分析。
わが国の学者たちは、それぞれに自分の「世間」を持っていて、「世間」に対して(論文を)書いている。だから、わが国の現実と関係が無いという事に気がついていない。と、第1章では手厳しい発言。
要は社会に目を向けていないんだろうなぁ〜。内輪(世間)に評価されることが学者としてはすべてなんだろうなぁ〜。そのような学者たちの為に、アッシらの税金が使われていていいのかなぁ〜って思う。私立大学も例外じゃないけど。
第2章では現状の大学の問題点を指摘する。万葉集のある歌について、成立年代と時間について国立天文台に問合せたと事例を紹介し、
人文科学と自然科学との間だけでなく、人文諸科学相互の間ですら、ほとんど連絡がないのが現状である。その理由はそれぞれの学問分野の担当者が「世間」を構成しているためである。と、分析している。
確かに、現実生活の中で直面する問題は、学問分野を横断するものばかりだよね。これを読むと、いざという時、本当に学者は役に立つのだろうか?って思うよね。
第3章はフッサールの<生活世界>の解説と改めての世間論。フッサールの解説はアッシには難解。だから、最後の数行を引用。ここだけは凄くよく理解できたから。
わが国の政治は「世間」の動きを見なければ理解できない。派閥の動静などは「世間」の典型というべきものである。第4章は<生活世界>の教養について。単にお勉強の中で得た知識を頭の中で理論構築する学問はこれからは捨てられると筆者。現場主義を唱えるているよ。それが学問の社会への還元になるんだろうなぁ〜。それにしても「世間」を超える必要があるんだろうけど。
筆者の教養とは何かのひとつの答え「いかに生きるか」はアッシに充分な満足感を与えてくれたよ。
しばらくは、この阿部謹也シリーズが続きそうな予感。
学問と「世間」 (岩波新書) | |
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