水のように笑う/関川夏央

水のように笑う (新潮文庫)』を読んだよ。先輩たちの青春…。

関川夏央氏のエッセイ集。関川氏の著作は、専らテツものしか読んでいなかったけど、今回、たまたま読むものに欠乏した瞬間があり、図書館で思わず氏の著作を見つけて借りてみたってわけ。
で、あとがきにもあるように、本書は氏が35〜37歳の時期に書かれたもの。その時の日記でもあり、過去を振り返っての思い出話であったり。でも、単なる思い出話にはならず、その時に考えたことと今の自分のあり様を考えるといった感じかな。
青春なんて、10代から20代前半までの話じゃないかと思うこともあるけど、人間は連続している訳で、どこからどこまでなんて、切れるものでもなく、35歳が考える青春があっていいよね。そういう意味で本書を読むと、人生の良さが分かるような気もするよ。あ〜、それはアッシがこの年齢になったから分かることなのかもしれないけどね。

ということで、気になるフレーズを以下に紹介。ちょっとした教育論なんだけど。
筆者の同年代30代後半の父親の話。彼は、親はあくまで子供の意見を尊重し、主体性を認めてやらなくてはならないという考え方。これに対し、

子供の意見を尊重し、子供の主体性を認めてやる、それは、親のわがまま大人の移り気を子供にかぶせるいいわけではないか。<中略>彼の方法というのは品種改良しておとなしく肉質の多いブタをつくり、その極北までたどりつくと、今度は一転して人工のイノシシをつくりだすだけのことではないのか。
というのが筆者の見解。そう、この父親のような大人が増えているような気がする。子供に主体性なんてあるのか?ベースがあってこその主体性なんじゃないか?ベースのないうちから主体性なんてあり得ない。
ついでに、このエッセイの最後は、
絶望の先端には虚無以外のなにもないというのに、行進することが流行だからと、わたしたちはそれをいともたやすく受けいれようとしている。
と締めくくる。ここは文学的な締めだよね。

1987年の作品だから、もうかれこれ25年以上も前。今、筆者は60歳を超えている。37歳の自分を振り返って、今の自分をどう考えているのだろう。それがアッシ的には興味があるところ。アッシの人生を考え方ヒントになるかもしれないしね。

水のように笑う (新潮文庫)
水のように笑う (新潮文庫)関川 夏央

新潮社 1990-12
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