有頂天家族/森見登美彦

有頂天家族』を読んだよ。京都の街が想像しながら。

タイトルからはそもそも主人公が狸だとは思えないけど、本当に狸。でも、登場するのは狸だけではなく、天狗だったり、蛙だったり、一応、人間も。
ホントは全員が狸なんじゃないかと思う。
京都の街にはこんな感じで狸が生活しているのかと想像するだけでも楽しめるかもしれないね。

物語は下鴨家という狸の一家を中心に展開する。両親のもとに4人の男兄弟。それぞれに特徴があり、それに相応しい活躍をする。その下鴨家に哲学は「阿呆であること」。

「そりゃ、おまえ、阿呆の血のしからしむるところさ」と次兄は笑った。
とか、
我らの父も、その父も、そのまた父も、下鴨家の狸たちは代々その身のうちに流れる阿呆の血のしからしむるところによって、ときに人間を化かし、ときに天狗を陥れ、ときに煮え立つ鉄鍋に転げ落ちてきた。これは恥じるべきことではなく、誇るべきことである。
阿呆を誇るという阿呆っぷりがいいよね。開き直りというか、自虐的というか。でも、その思いっ切りぶりが、人間にはできないこと。狸であるからこそか…。

いや、この物語に登場する者たちに、阿呆でない者はいないかも。天狗にしても、弁天にしても、教授にしても。人間(生き物?)というものは、基本的に阿呆なのかもしれないね。だからこそ、生きることが面白くなるのかもしれない。
だから、

狸は如何に生くべきか、と問われれば、つねに私は答える――面白く生きるほかに、何もすべきことはない。
ということになりそうだね。
さて、続編が出ているようだけど、次があるかは微妙だな…。