世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?/山口周

世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」 (光文社新書)』を読んだよ。結局は哲学の問題か…。

多分、どこかで紹介されていた本をメモったのだと思う。自分的には普段は手に取るような種類のものではないから。それでも、図書館で予約が多いということは、やっぱり本書がどこかでは注目されているのだと思う。とは言え、結果的に読んで正解だったと言える。

副題は「経営における「アート」と「サイエンス」」。で、結論的なことを不等号で表すと「アート」>「サイエンス」という構図なのが本書。幾つかのキーワードを並べてみると、本書の構造が見えてくる。「正解のコモディティ化」「差別化の消失」「方法論としての限界」「真・善・美による判断」など。

意思決定にはエビデンスが求められる時代。でも、それが逆に責任放棄になる場合もある。つまりは、サイエンスのせいにすることも可能になるわけ。だから、

それは、画期的なイノベーションが起こる過程では、しばしば「論理と理性」を超越するような意思決定、つまり「非論理的」ではなく「超論理的」とも言えるような意思決定が行われている、ということです。
となり、アート的な直感とか感性が必要ではないかとなってくる。

そして、物事の本質を見る力。

この「本質の共通性」をちゃんと把握するためには、経営という営みの本質が「選択と捨象」であることを、しっかりと理解することが必要です。
あぁ、これってデザイン思考に繋がっていくのか?あるいは、哲学とも言えるか。

最後に事例。

マツダが狙っているのは「顧客に好まれるデザイン」ではなく、「顧客を魅了するデザイン」だと言ってもいいでしょう。
悪く言えば「上から目線」なんだけど、顧客におもねるのではなく「感動を提供する」という立場に立てば、それは経営的には当然の帰結だよね。高い美意識が必要な理由がここにも。
あぁ、アートを鍛えないと。文学でもいいって書いてあったから、ひとまず良しとするか…。

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