史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち/飲茶

史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち (河出文庫)』を読んだよ。徹底的に考えると…。

飲茶氏の著書が好きでいくつも読んでいるけれども、今回はkindle積読本の1冊。特に東洋哲学が好きだとか、知ってみたかったというわけではないけれども、いや、読んで正解だったというのが率直な感想。人間の思索って凄いな。ここまで徹底的に考えることができるんだ…という感じ。

では、東洋の哲学者たちは何をどう考えていたのか。
まずは、西洋の哲学者との違い。

西洋の哲学者たちが二五〇〇年以上もの間、「真理」を目指して苦闘を続け、それでもまだなお「真理」に到達できていないというのに、東洋の哲学者たちはそれをあっさりと「真理に到達した」などと言い放ってやがるのです。
これは大胆不敵。でも、その「真理」の解釈を巡って侃々諤々と議論を続けることになるんだけど…。

では、東洋の哲学者たちの解釈はどのようなものだったのか。自分的にまとめてしまうと「存在しない」ということ。あぁ、あっさりと言ってしまったけど、これがまた奥が深い。事例を上げると、

龍樹は、この「縁起」に基づき、「あらゆる物事、現象は相互の関係性によって成り立っており、確固たる実体としてそこに存在しているわけではない」という「空の哲学」を作り出した。
とか、<>般若心経はいっさいを否定する。釈迦だろうと、仏教の根本教義だろうと容赦なんかしない。 無い、無い、徹底的に無いのだ!<>
とか。実体なんかありゃしない、だって、全てが人間の頭脳で考えただけのものだから…って感じ。

だからこそ、

東洋哲学にとって「理屈」や「科学的根拠」なんてものはどうでもいい。そんなものに「正しさ」を求めるよりも、何はともあれ、とにかく「結果」。「結果」だ。東洋哲学はあらゆる「理屈」に先立ち、まず「結果」を優先する。
ということになる。東洋哲学のなんとなくのモヤモヤ感がこれで納得したかな…。いや、ダメだ。哲学と宗教が結びついたことがよく理解できないなぁ~。

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