形態の生命誌/長沼毅

形態の生命誌―なぜ生物にカタチがあるのか (新潮選書)』を読んだよ。カタチには意味がある。

『宇宙がよろこぶ生命論』を読んで以来、気になっていた筆者。読みたい本リストの奥の方に並んでいたものを今回引っ張り出してきた。その長沼毅氏は、以前にちょっとした事件でニュースに出ていたような気がするけど、最近の活躍ぶりはどうなんだろ。

辺境生物学者的な位置付けの筆者だけど、今回はちょっと外れて、生物の「カタチ」の話。では、どんなカタチがあるのだろう。

まずは骨の話。内骨格生物と外骨格生物の違い。それは死生観にも現れる。すなわち、内骨格生物は死ぬと骨が剥き出しになり、生死のコントラストがハッキリするということ。外骨格生物にはそれがない。これに対し、

もし、人間が外骨格生物だったら、死に対してそれほど嫌悪感を覚えなかったと思う。外骨格生物が口をきけるなら、僕はぜひとも彼らの死生観を拝聴してみたい。
と筆者。これは面白い。カタチが死生観にまで影響を与えるとは…。自分も外骨格生物に死生観を聴いてみたいな。

では、植物のカタチはどうだろうか。
葉の茎へのつき方とか、葉の形、花の形とか色々なカタチがあるよね。これについて、フィボナッチ数列を例に出し、

このことは、根や葉という植物のカタチが、生息環境や競争などによって決まる以上に、数学によって決まることを意味している。植物のタカチに宿る神の御心が数学という人知的な表現によって理解されつつあるのだ。
と言っているよ。うん、自分的にはこれも楽しい視点。数列と植物、まったく結びつきそうにない組み合わせだからね。

最後にカタチの淵源について。
これは「眼の誕生」と関連してくる。

動物のカタチの淵源は「見られる恐怖」、「喰われる恐怖」なのである。眼さえ生まれなければ、カタチも生まれなかった。
ということ。必然なのか、偶然なのかという問題はあるけれども、やっぱりカタチには意味はあるんだよね。不思議だなぁ~。でも、楽しいなぁ~。

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長沼 毅
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