シンギュラリティは近い[エッセンス版]/レイ・カーツワイル

シンギュラリティは近い[エッセンス版] 人類が生命を超越するとき』を読んだよ。人類は加速度的。

『シンギュラリティ・ビジネス』を読んで以来、気になるキーワード「シンギュラリティは近い」。『シンギュラリティ・ビジネス』では、本書を取り上げて、何度も「カーツワイルによれば、」というセリフが登場するよ。ということで、その原典を読んでみたというわけ。
とは言え、本書は「エッセンス版」という位置付け。原書の邦訳は『ポスト・ヒューマン誕生』という分厚いもの。洋書って、記述がしつこいものが多いから、この「エッセンス版」で十分かも。

で、本書の内容はというと、タイトルではピンと来ない。原書の邦訳本も同じ。分かりやすいのは「人類が生命を超越するとき」という副題。原書の邦訳本は「コンピュータが人類の知性を超えるとき」というもの。そう、後者の方が分かりやすい副題だよね。もっと端折ってしまうと、シンギュラリティ時点で人間とコンピュータは融合してしまうだろうという話。

では、実際に筆者はどう言っているか。

シンギュラリティとは、われわれの生物としての思考と存在が、みずからの作りだしたテクノロジーと融合する臨界点であり、その世界は、依然として人間的ではあっても生物としての基礎を超越している。
ということ。いや、これは完全に人間のコンピュータ化。その区別がつかない世界に到達するということを言っているわけだから。

もう少し具体的にいうと、身体はハードウェア化され、その精神はソフトウェア化される。ナノボットというコンピュータが身体の中を流れ、(ハードウェアの)不具合を見つけ、調整する。脳の中身はスキャニングされ、ダウンロードも可能となる。もちろん、他の身体にアップロード可能というわけだ。
そして、最後はハードウェアも消滅する。筆者曰く、

最終的に、ソフトウェアをベースとする人間は、今日われわれが知っている人間の厳しい限界を大きく超えるものになる。彼らはウェブ上で生きていき、必要なときや、そうしたいと思ったときには体を映し出す。その形態は多様で、VRのさまざまな世界を舞台とするヴァーチャル体、ホログラフィで投影された体、フォグレットが作り出す体、ナノボットの大群やその他のナノテクノロジーの形態で組織された物理的な体などがある。
と。いや、そんな世界が2045年に来るのだろうか。そう、それは確実に来る。人類は加速度的に進化しているのだから。あ〜。
シンギュラリティは近い[エッセンス版] 人類が生命を超越するとき
シンギュラリティは近い[エッセンス版] 人類が生命を超越するときレイ・カーツワイル NHK出版

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