シュレディンガーの哲学する猫/竹内薫,竹内さなみ
『シュレディンガーの哲学する猫 (中公文庫)』を読んだよ。あの「シュレディンガーの猫」とはちと違う。
積読状態のKindle本を少しでも片付けようと、選択したのが本書。だいぶ以前にセールで安くなっていて手に入れたもの。もともと「哲学する猫」というキーワードに惹かれていたんだけど、借りて読むには重い感じだったので、入手に踏み切ったわけ。
で、実際に重かったのか?答えはビミョウ。哲学の内容はかなり思い部分もあり、精神の緊張と伴う読書。ところが、案内役の主人公と猫との物語は軽い小説風。それに、筆者の思いが絡んでくる。この三重奏が何とも分かりにくくしているのがちょっと残念。竹内薫氏の著作は科学を分かりやすく説明したものが多いので、気に入ってはいたんだけど…。二重奏くらいにしてくれた方がよかったかな。あと、引用が多かったのも分かりにくくしている要因かも。
さて、本書に通底するものは、科学哲学。だから、古今東西の哲学者、科学者が登場し、彼らの考え方を様々な角度から紹介する。そして、その考え方を一言でいうと「人間は知っていることしか、知らない。」ということ。例えば、ウィトゲンシュタインの次の言葉。
「実に曖昧だ。ボヤけて大雑把な言葉のとらえかただ。君の言語の限界は、君の世界の限界なのだ」とか、筆者自身も、
でも、科学が照らしていない暗闇の部分については、人間は、ほとんど何も知らないのである。と言っているよ。そう、それが科学の限界なのか。でも、人間はそれを超越する知恵を持っているのかも。それが哲学。
哲学は、科学とはちがうのである。哲学は、哲学法則をさがす営みではない。一般的な定義を探すことでもない。哲学は、この世界を、ありのままの姿で「記述」するのである。と筆者。
なんだか、哲学が科学を包含するのかと勘違いしそうだけど、いやそうではなく、別の考え方として並列するということなんだよね。あぁ、こんなことを考えると一瞬頭が良くなったような気がするけど…。それこそまさに勘違いでした〜。
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